人魂機才、私たちの”水平線の向こう”
海を見に行った。
半島の先で、寄せる波に五感を澄ませる。
打ち寄せるたびにリズムの変わる波。ただ繰り返すだけなのに時を忘れる。
視線を少しあげると水平線。ぼーっと眺める。自然の一部になった気分になる。そして、我に返ると、ふと気になり始める。その水平線の向こうに何があるのか。
景色は、1000年前からあまり変わらないのかもしれない。
昔、この景色を見て、水平線の向こうに何があるか知りたくなって、海を渡る人が出たかもしれない。毎日、水平線を見続けて、好奇心、冒険心、見えぬ不安、いつしかそんなエネルギーが日常を超え、ある日、水平線の向こうの開拓に出た、かつての人はそうだったと、この景色の前に、そう思わずにはいられない。
さて、いまの私たちにとって”水平線の向こう”とは何か。
たとえば、宇宙は、今も昔もそうかもしれない。星空を眺めながら、あの星に何があるか、魅惑を感じながらも、人類はまだその星を気軽に訪れられる状態にはない。ただ、宇宙の研究は進み、多くの人は知識としては少し持ち合わせていて「いつか宇宙が落ちてくるかもしれない」という漠とした不安にとらわれることは現代ではない。
では、と考える。案外、”ロボット技術やAIによって統御された世界”は、いまの私たちにとって”水平線の向こう”に近いかもしれないと感じ始めた。AIやロボットが人知を超え、社会を席巻するかもしれない。この漠然とした不安感と期待感は”水平線の向こう”ではないか。そして、すでに大航海時代は始まっている。
関心のある人にとって、進化や主導権の奪い合いはすでに熾烈、時々刻々と変化している。他方で、関心のない人はいまだ多数派を占めるが、その変化に巻き込まれざる得ない時代は徐々に迫ってきている。だが、誰も秩序立った世界観を描けていない。
日本の歴史に照らして言えば、さながら”黒船到来”、その破壊力・影響力への漠然とした恐怖や不安は、こういう感じだったかもしれない、と今さらながら開国時の人々に共感を覚えるのである。
とすれば、私たちはいまの時代の変化にどう向き合えばいいか、歴史にヒントがあると気づいた。
前提として、どうやら政府(当時でいえば、幕府)による、変化に対する制御はあまり期待できない可能性が高い。政府の力を越えた規模・スピードで変化が起こる。そして、大政奉還や明治維新のような転換が起こるかもしれないが、一般人にとっては、廃刀や断髪、士農工商廃止のような、すなわち、あるべき像やヒエラルキーなどの重要な変化があるかもしれない。常識とされた生き方は大きく変化する可能性は高い。
そんな中で、私たち1人1人は何を信じ、どう変化に向き合うか。歴史のヒントに依るなら、変化に流されるのでも、単に抗うようでも、どうやらダメなようである。変化を見定めて生かす、それしかないようである。
当時の構えの1つ「和魂洋才」に倣うなら、すなわち「人間古来の精神を大切にしつつ、AIやロボットの優れた技術を活用し、両者を調和・発展させていく」、人の魂と機械の才能、さしずめ「人魂機才」というべきか。
人間性を磨き、意思をもって機械の活用を見出す、それが今後の人類の在り方の鍵の1つになりそうである。
好奇や不安が力になって、その向こうにどんな世界があるのか、見定めて、その知を取り込んでいく、そういう自然な人間らしい振る舞いが大切な時代になってきた、水平線を眺めながらそう感じ始めた。