
【英文法の小径】現在進行形〈時制〉余話・その二
前回、進行形=[be + V-ing]の V には「動作」動詞、つまり始まりと終わりがあって、動きや変化があることを表す動詞がくることを再確認した。
一方、このシリーズでは、「状態」動詞、つまり始まりと終わりがなくて、静的で変わらないことを表す動詞の進行形についても取り上げている。そこで、状態動詞が進行形で用いられるプロセスについて、話し手の事態の捉え方という視点から、改めて考えてみたい。
例文を再掲する。
1-a. My parents live in San Francisco.
1-b. I’m living with my parents.
現在形を使用している (1-a) の話し手は、この発言の時点では、両親の現在の住まいはこれからも変わらないと思っている。その終わりを意識してはいないだろう。
一方、(1-b) の話し手は現在、両親の家に住んでいるが、例えば、適切な賃貸の部屋が見つかったら一人暮らしを始めたいと考えている。つまり、いずれは住まいを移すつもりがある。このような場合、話し手は現在の実家暮らしの終わりを意識しているはずだ(それは、意識の前面にはないかもしれないが少なくとも意識の背景にはあるだろう)。それで、話し手は「途中」であることを表す現在進行形を選択している。
例文を再掲する。
2-a. He closely resembles his father.
2-b. He is resembling his father more and more.
現実には、彼が父親に似ている有り様も成長とともに変化しているはずだが、(2-a) で話し手は少なくとも発言時には、そのような変化を認識していないため、現在形を用いている。
ところが、あるときふと、彼がますます父親に似てきていることに気づく。つまり、時の経過に伴う変化を意識するようになると、(2-b) のように、こんどは現在形ではなく現在進行形を選択することになる(ここで再び、[be + V-ing]の V には、動きや変化を表す動詞がくることを想起しよう)
このように、状態動詞であっても、話し手の発言時の意識によっては、動作動詞と同じように進行形で用いられるのである。
したがって、動作動詞/状態動詞という予め決まった区別/分類があるのではなく、ある文脈で話し手が、その動詞によって表される事柄をどのように捉えるかによって、動作動詞/状態動詞のいずれでも用いられる可能性があると言っていいのかもしれない。結局、動作動詞/状態動詞というのは用法の問題なのではないだろうか。