【オチなし話】雑です、大坂さん Another ~のびしろ~

「先生ー。水無瀬先生」
自分の名前を呼ばれて、私は顔をあげた。女子生徒が立っていた。
わたしが担当するクラスの生徒だった。確か名前はー。

「先生、日誌を持ってきました」
ああ。彼女、今日の日直だったのか。

「はい、ありがとう。ご苦労様」
そう言って日誌を受け取ったが、彼女はそこから動くそぶりを全く見せない。

「どうしたの?わたしになにか用?」

「実は、先生にちょっと聞きたいことがあって。いいでしょうか?」

「勉強のこと?いいわよ」

「勉強といえば勉強なんですけど。ここでは、ちょっと・・・。できれば、二人っきりで話したいんですが・・・」

「二人っきり?」
わたしは少し考え込んだ。
職員室に居る他の先生たちに聞かれたくない話なのだろうか。
男子生徒からそんなことを言われると少し身構えてしまうが、相手が女生徒で、しかもどちらかと言えば大人しい性格の、クラスでもあまり目立たない少女だ。変な心配もする必要もないだろう。

「いいわよ。生徒指導室でいいかしら?」
彼女は、はいと頷く。

わたしは生徒指導室の鍵を、鍵置き場から取ると、彼女と一緒に職員室を出た。
生徒指導室に、先に彼女を入れてわたしも中に入ると、鍵を閉めた。
聞きたいという話の内容はわからないが、深刻なものであれば、予期しない第三者が、この部屋に入ってくることを防ぎたかった。

机を挟んでわたしたちはパイプ椅子に座わり、向かい合った。

わたしは鍵を机の上に置き、
「で、聞きたいことって」
なにかしら?と続けて言うのを遮って、彼女は口を開いた。

「先生、この前の数学の実力テストで先生が担当しているクラスの平均点は前回より10点も上がったんですよね」

「え・・・?ああ、そのようね」

「おめでとうございます」

少女は頭をぺこりと下げた。

「どうして?生徒のあなたからお礼を言われるなんて変ね?」

「だって、先生は数学の担任じゃないですか。先生が担当するクラス平均が上がるのって、先生の教え方がいいからでしょう」

「そうじゃないわ。みんなが頑張ってくれたおかげよ」

「でも先生は、数学があまり得意じゃない生徒に対しても積極的に補習をおこなったりしてましたよね。その成果が平均点アップだから、先生のおかげだと思います」

この子は何を言いたいのかしら?わたしのような、まだ何の地位もない教師にお世辞を言ったところで内申書が良くなるわけでもないのに。
たしかこの子は数学はいつも判で押したように80点前後をとる。単純な問題でポカをするのだ。
もう少し注意すれば、もっといい点を取れると思うのだが。

ここの中学校は、指折りの進学校で、中間、期末のテストとは別に、特定の科目の実力テストが毎月行われている。

その結果は、テストをうける生徒たちの内申書にも大きな影響を与えるが、同時に担当教科の教師の評価にも直結する。
彼女の言う通り、わたしが担当するクラスの数学の実力テストの平均点が上がれば、それはわたしの評価が上がることにもなるがー。
しかし、それを生徒から褒めてもらおうなどと思ったことは一度もない。
いや、むしろー。
正直、不愉快な気持ちになる。

「でも担当教科の実力テストの平均点が上がれば、先生の評価もあがるんじゃないですか?そのうち主任教諭になれたりして」

またしても不愉快なことを彼女は言う。
あながち間違っていないから余計に癇に障る。

わたしはため息をついた。
「ねぇ、あなた。わたしに聞きたいことがあるって言ったわよね。用件があるなら早く言ってくれないかしら?」

少しとげとげしい口調だったかったかも知れない。
しかし、彼女はいっこうに気にするそぶりも見せず、唐突に言った。

「先生、なぜ、あんなことをしたんですか?」

「え?あんなこと?あんなことって何?」

「この前の実力テストで、Hーさんや Kーさんが、テストを受けれないようにしたことです」

彼女がそう言った後、少しの間、静寂の時が流れた。

「あなたが何を言いたいのか、わたしにはわからないのだけれど。Hーさんや Kーさんは、おなかを壊して学校を休んだのよ。あなたは、それがわたしのせいだとでも、言いたいのかしら?」

「はい」
彼女はわたしの目をまっすぐに見て言った。

「Hーさんや Kーさんは、ともに実力テストの前日、先生が顧問をしている調理部に招かれて、調理部の人たちが作ったケーキを食べています」

「ええ。前々回の数学の実力テストで、Hーさんや Kーさんは、それまではいつも70点台だったのが、努力をして満点を取ったから、明日のテストも頑張ってね、この前のはマグレなんていわれないためにも、と激励のために招待して、部員たちが作ったケーキをふるまったわよ。それは、そんなにいけないことかしら?」

「そうですね。Hーさんや Kーさんを実力テストに参加させないために、ケーキまたは用意された飲み物の中に、夜から効き目が出てくる下剤のような効き目のある薬草の成分が仕込まれていたとしたら、それはいけないことだと思います」

この子、誇大妄想の癖があるのかしら。
それとも、なんらかの原因で精神が不安定な状態になっているのかしら。
わたしは少し背筋が寒くなった。

「あのね、ケーキも飲み物も、Hーさんや Kーさんだけじゃなく、調理部の部員のみんなも、わたしも、口にしたわよ。でも、おなかの調子を悪くしたのは、Hーさんや Kーさんの2人だけでしょう。飲み物だって、Hーさんや Kーさんが最初に自分で紙コップを選んだのよ。変な妄想をするのはよしなさい。それに満点をとった2人に、実力テストを受けられないようにして、どんなメリットが、わたしにあると言うの?」

「平均点を下げさせないためです」

無茶苦茶だ。
満点をとった生徒にテストを受けさせなかったら、平均点は下がるだけではないか。どうしてこんな簡単なことが、彼女にはわからないのだろうか。

「先生の言いたいことはわかります。満点をとった生徒が、テストを受けられないようにすれば、却って平均点が下がるではないか、ということですよね」

「そうよ。わかっているのならー」

「それは彼女たちが、いつも満点近い点数を取っているのなら、その理屈は成り立ちます。でもHーさんや Kーさんは、今までずっと、70点台の点数でした。それが前々回の実力テストでは満点をとりました」

「それは、二人が努力したからでしょう」

「はい。もちろんそれもあります。でも、たまたまヤマが当たり、予想した問題が出て、思いがけず満点をとれたという可能性もあります」

ああ言えばこう言う。わたしはだんだんと彼女に対して腹がたってきた。
「それは、何か根拠があっての発言なのかしら?あなたはHーさんや Kーさんを愚弄しているのよ。わかる?」
 
「根拠はあります。あたしは直接Hーさんと Kーさんに聞きました。二人とも、前々回はたまたまヤマが当たって、思いがけず満点をとれたと言ってました」

「・・・だとしても!」わたしは思わず声を荒げてしまった。

「のびしろがないんです、先生」

「のびしろ・・・?」

「満点を取った人は、それ以上の点を取れないんです。50点・60点台の人は、ほんの少し背中を押してあげるだけで、勉強のコツを教えてあげるだけでも、80点台をとることは決して不可能じゃありません。
 でも満点をとった人は、満点を取り続けるしかないんです。でも、たまたまヤマが当たって満点を取った人が、次も満点をとる可能性はどこくらいあるんでしょう?先生は、その可能性はほぼゼロだと考えたんですね」

「違う」
私は力なく否定したが、彼女は言葉をつづけた。

「先生にとって、実力じゃなく、幸運で満点を取った人は、次回のテストで平均点を下げるリスク要因でしかなかった。
 常に満点近い点を取っている人ならまだしも、たまたまヤマが当たって満点を取ったHーさんや Kーさんは、元の70点台に戻ってしまう可能性が高い。だから・・・」

「・・・仮にあなたの言う通りだとしても、どうやって、わたしは、Hーさんや Kーさんだけに、その下剤作用のある薬草の成分とやらを、一服盛ることが出来たのかしら」
わたしは反撃を試みた。わたしにとって、最後の砦だ。

「2人だけに、一服盛る必要はなかったんです。先生も含め調理部の全員が食べたケーキもしくは飲み物すべてに、下剤作用のある薬草の成分が含まれていたんです」

「それなら、全員がおなかを壊しているわ」

「耐性をつけさせたんですよ、先生は。そう、長い時間をかけて。
最初はほんの少量の下剤作用のある薬草の成分を調理部のみんなが食べる料理の中に入れて。
 人間の体は長期間の服用で薬に慣れていきますから。
 そして先生は、みんなの体調を見ながら少しづつ成分の量を増やしていったんです。だから、みんなは平気だった。でも、初めて口にするHーさんや Kーさんたちには、効果てきめんだった。
 先生が顧問をしていた調理部は、先生にとって、将来、起きるかもしれないリスクを回避するために、周到に用意された装置にすぎなかったんですね」

わたしは視線を机の上に置かれているこの部屋のカギに移した。
彼女と視線を合わせているのが苦しかったのだ。

「・・・あなたはうかつね。この部屋のドアはカギがかけられていて、しかも今は放課後でほとんど生徒もいない。この部屋で大声を出しても職員室の他の先生には聞こえないわ。
 あなたがこの部屋を出ていくのを、わたしが黙って見送るともでも思っているの?」

「それは、あたしの言ったことが事実だったと認めるんということですね、先生」

「いいわ、認めてあげる。これで満足?」

「はい」

「他者から評価されるためには、あらゆる努力を惜しまない。そのどこが悪いのかしら?」

「方向の間違った努力は、評価されるべきではありません」

「青くさいわね。言いたいことはそれだけ?」

「いえ。もうひとつだけ」
彼女は制服の胸ポケットから取り出したものを机の上に置いた。

「これは収音マイクです。今まで先生と話したことはこのマイクを通じて、視聴覚室にいるクラスメートが録音をしています。あたしが戻ってこなかったら、または今後、あたしの身に何かがあったら、録音データは然るべきところに提出される手はずになっています」

「・・・・」わたしは目を見開いて少女の顔を見るしかなかった。

「先生、残念です。先生は、あたしたちのために先生をしていてくれたんじゃないんですね。」
そういうと、少女は机の上の鍵を手に取り、ドアの施錠を開けた。

「すぐに録音データを提出するようなことはしません。だからそれまでに先生は、自分のしたことのケリを自分でつけてくださるよう、願っています」

彼女はそう言い残すと、生徒指導室を出て行った。

ひとり残ったわたしは両手で顔を覆った。
わたしは何のために、教師になろうと願ったのだろうか・・・。


僕は、「新入生歓迎会用 演劇部演目『二人芝居:のびしろ』」とタイトルをつけられたノートに、女の子らしい丸文字で書かれた文章を読み終えると顔をあげて、妹の悠梨ゆりを見た。

えーと・・・。
いったいどこから突っ込めばいいのだろう・・・。
ツッコミどころが多すぎて言葉を失う。
とりあえず、これって、新入生に歓迎会に出すのに、一番ふさわしくない内容だぞ、悠梨ゆりよ。

とある4月の日曜日の午後。
近所の川沿いの桜並木を見ながら歩く僕と大坂さんは、一緒についてきた妹の悠梨ゆりから、延々と学校での愚痴を聞かされ、ついには公園のベンチに座わらされて、悠梨ゆりが書いた(そして即座に没にされた)お芝居の草案が書かれたノートを無理やり読まされたのだった。

「ひどいよねー、お兄ちゃん。まだこれからいろいろと練りこむ前の走り書きなのに、顧問の先生に見せたら、速攻で却下されたんだよー。これって、ひどくない?」

そりゃそうだろ。教師が思いっきり悪い役になってる芝居なんだから。
怒るお前のほうが悪いぞ。

「なぁ、悠梨ゆり。顧問の先生の名前はなんていうんだ?」

「水無月先生。普段は優しいお姉さんみたいな先生なのに、あの時は、なんだか機嫌が悪そうだったなぁ」

だって、思いっきり犯人役の教師と名前が似てるじゃないか。
殴られなかっただけでもありがたく思えよ、悠梨ゆり

「いったい、あたしのお芝居の草案のどこが悪かったのかなぁ?」

いや、もう、全部だろ。それくらい分かれよと、僕は言いそうになった。

「そうかなぁ。あたしは、たまにはこういうも、ええと思うけどなぁ」

僕に顔をくっつけんばかりにして一緒に、ノートを読んでいた大阪さんが言った。
ああ、ここにも空気が読めない人がいたよ。

「ありがとう、白詰草よつばさん。わかってくれるのは、白詰草よつばさんだけだよぉ」

悠梨ゆりが大げさに言うと、大坂さんに抱き着いた。

「ほんま悠梨ゆりちゃんはかわいいなぁ。白詰草よつばさんやなんて他人行儀に言わんでええよ。白詰草よつばおねえちゃんで、ええから」

「うん。白詰草よつばおねえちゃん」

「いやあ、おねえちゃんていわれるのって、気持ちええもんやなぁ」

悠梨ゆりと大坂さんが、ひしっと抱き合うのを見て、僕は内心うへぇっと思った。

悠梨ゆりちゃん。そのうち、本当の姉妹になろうなぁ、戸籍上の」

「大坂さん!さらっと怖い事を言わない!」
僕の抗議を、大坂さんはスルーして聞こえないふりをする。

どうして僕の周りには、感性の変わった女の子が多くいるのだろうか。
人生はミスキャストでいっぱいだ、とそう言ったのは誰だったのだろうか?
そう僕は思いながら、川沿いに咲き誇る桜並木を見るのだった。

【雑です、大坂さん Another ~のびしろ~(終わり)】


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