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歴史のすみっこ話(7) 〜日本人、カレーライスと出会う〜

カレーの苦手な日本人を知りません、というとちょっと微妙だったりします。(なんでも聞くところによると、声優の佐藤利奈さんはカレーが苦手なことを公言されているとか)

さて、国民食といってもいいカレー、この言葉を日本に紹介したのは、かの福沢諭吉です。現時点では1万円札の人です。

咸臨丸に搭乗して万延元年(1860年)にアメリカに渡った福沢諭吉は、サンフランシスコの書店で『華英通信』なる中国語と英語の辞書に出会います。

それを購入した諭吉は日本に帰国後、その辞書の英語に日本語の発音をつけて万延元年(1860年)に出版します。
つまり、同じ年に英語の発音をつけて出版までやってのけたんですね。
(ちなみにAppleは『エップル』と日本語発音が付けられているそうです)

その中で、カレー(Curry)に対しては、コルリと発音がつけられています。
(諭吉がアメリカ滞在中にカレーを食したまたは見たかは不明ですが)
 
時代は進んで、10年後の明治3年(1870年)。現在わかっている資料の中で、もっとも早くカレーライスを食した人は物理学者の山川健次郎という人だそうです。
当時は若干16歳。会津藩から選ばれた国費留学生としてアメリカに渡る船の中で山川健次郎氏はカレーライスを食します。

とはいえ、ライスの上のゴテゴテした物は食うきになれず、杏子の砂糖漬けを副食として米飯を食して飢えをしのいだ、と後の著述しているので、カレーライスのライスだけしか食べてない可能性もありますね^^;。

その後、カレーライスは徐々に日本に浸透してきますが、まだ上流階級など一部の人たちが食するだけであったようですが、明治34年(1901年)に病床に伏せていた正岡子規は食しており、『仰臥漫録』という日記の9月17日に以下のように記載しています。

九月十七日
晴 ひやひやする。
~(略)
夜 カレーライス 三椀、ぬかご、つくだ煮、奈良漬け、
体温 三十七度三分

(ただし、これを紹介している『カレーライスの誕生』の著者、小菅圭子氏は、正岡子規にとってこれが初めてのカレーであるとは思いにくい、と書かれています)

ともあれ、正岡子規がカレーライスを食していたとは意外でした。

参考・引用資料『カレーライスの誕生』著:小菅圭子

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