【三寸の舌の有らん限り】[20]-旅順口閉塞作戦01-(1287文字)

  明治37年(1904年)2月10日ー。日露両国の宣戦布告がなされたこの日、時事新報から『帝國海軍大勝利』の見出しが付けられた号外が出た。

『旅順に於ける日露の大海戰 露國首要軍艦三隻先づ斃る』の見出しもある。

人々は歓喜した。

 銀座の商店はイルミネーションをつけて、祝賀ムード一色となった。夕方、慶應義塾の学生二千余名が炬火行列(たいまつぎょうれつ)を行なった。
 音楽隊を拝し、上野公園から海軍省門前をへて、日比谷公園に入った。
 横浜でも一千人が炬火行列を行なった。県庁とイギリス領事官前で万歳が叫ばれた。
 横須賀では二千五百名の水兵が海軍軍楽隊の先導で軍歌をうたって、市内を行進した。

「日露戦争 起源と開戦 下」和田 春樹:著より

 しかし、陸軍部隊の速やかな遼陽半島上陸を行うために、旅順艦隊をせん滅させ、黄海の制海権を握ることが目的であったことを考えると、この攻撃の成果は手放しで大勝利と喜べるものではなかった。

 2月10日。参謀本部は海軍軍令部の判断を受けて、第12師団の仁川上陸を決定した。

 連合艦隊は2月14日未明に、第二次攻撃として駆逐艦による旅順軍港への
夜襲攻撃を行ったが、目立った戦果をあげることはできなかった。

 2月16日から第12師団の仁川上陸が開始され、大韓帝国政府の首都・漢城を占拠した。

 これより前の2月13日、日本政府の命を受けた林公使は、前年に一度頓挫した日韓議定書を再度、大韓帝国政府に提出し、2月23日に日韓議定書の調印が行われた。
 『日本の意向を強く反映した軍事同盟になっている』(『韓国併合』森 万佑子:著より)。

 旅順軍港から、旅順艦隊を誘い出すことができない連合艦隊は、旅順艦隊が旅順軍港から出て来れないように封じ込めることを目的とした『旅順口閉塞作戦』を実施することを決定する。

 『第1次旅順口閉塞作戦』は2月20日から開始された。


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」          著:和田 春樹
●「日清・日露戦争における政策と戦略」      著:平野龍二
●「世界史としての日露戦争」           著:大江志乃夫
●「世界史の中の日露戦争」            著:山田 朗
●「韓国併合」                  著:森 万佑子
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義
●「児玉源太郎」                 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」            著:岡崎 久彦
●「高橋是清自伝(下)」             著:高橋 是清
●「日露戦争、資金調達の戦い」          著:板谷敏彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」         著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」                編:トク・ベルツ
● 陸奥新報 日露戦争 恐怖身近に


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