【三寸の舌の有らん限り】[13]-伊地知幸介01-(1260文字)

 「坂の上の雲」での日露戦争を主題とするパートにおいて、作者である司馬遼太郎氏からもっとも愛情を注がれなかった(はっきりと言えば、忌み嫌われた)軍人のひとりが、伊地知幸介いぢち こうすけであったと言ってもいい。
  
 その伊地知幸介いぢち こうすけが明治37年1月12日に特別任務を命じられて韓国京城に入り、韓国公使館附武官となったのは明治37年1月22日であった。 日露戦争前夜のことである。

 長南 政義氏の「新史料による日露戦争陸戦史」には以下のように記されている。

日露国交危機が迫らんとする当時、露国の機先を制するために、参謀本部が有為の人物を韓国京城に派遣し情報収集や臨時派遣隊上陸に関する特別任務に従事させたが、この特別任務に服した人物のひとりは伊地知であった。

「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義

 伊地知が受けた特別任務とは、『列国兵が京城に入城した結果、「京城は中立地」となる可能性があったのでこれを阻止すること』であったと。

 つまり、日本軍により、露国に先んじて京城を占領することである。

 伊地知が最初に行ったのは臨時派遣隊のための宿舎の準備である。
 京城所在の日本人家屋だけでは収用能力が不足するのが、かといって朝鮮人家屋の利用は韓国政府の同意が必要ということで、龍山にバラックを建築する計画を立てた。

「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義

 臨時派遣隊(木越旅団)が仁川沖に到着するという連絡を、伊地知幸介は受けた。
 臨時派遣隊は、仁川碇泊中のロシア巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」の前面で上陸を行わなければならない。

 企図の秘匿が極めて重要であった。
 そこで伊地知は一計を案じ、京城に駐在する各国公使館附武官および露仏両国公使館護衛の任に鞅掌(おうしょう)していた武官全員を、上陸当夜の二月八日、晩餐会に招待することとした。 

 さらに伊地知は2次会の準備も部下に命じている。
 2次会の目的は外国武官に酒を飲ませて、酔い潰すことにあった。
  
 2月8日17時30分過ぎ、停泊中のロシア巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」を前にして、臨時派遣隊の上陸が始まった。

(続く)


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」          著:和田 春樹
●「世界史の中の日露戦争」            著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義
●「児玉源太郎」                 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」            著:岡崎 久彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」         著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」                編:トク・ベルツ

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