母なるもの
ごご茶さんの詩を読み、ふと思いました。
子供にとって、と書くと範囲が広がりすぎるので、ボクにとって。
ボクにとって、母親とは、なんなのだろうと思うことがあります。
あふれる感情があまりに多く、それは表現力が貧困なボクにはとても言語化ができないものなのです。
おそらくボクにとって、この世界で最初に、ボクという存在を無条件に受け入れてくれ、味方になってくれた存在。
慈しみ、見守り、時に叱り、育ててくれた存在。
だけどその行為に対して、ボクはどれだけ返すことができたのだろうかという後悔をいつまでも持ち続けるのでしょう。
ボクが初めて母という存在について、様々な感情をこめた歌を聴いたのは、ずいぶんと昔、さだまさしさんの『無縁坂』でした。
いつかしら 僕よりも 母は小さくなった
知らぬまに 白い手は とても小さくなった
母はすべてを 暦に刻んで 流してきたんだろう
悲しさや苦しさは きっとあったはずなのに
ひとりの人間として母親を見つめるさだまさしさんの視線は「案山子」という歌にも出ています。
元気でいるか 街にはなれたか 友達出来たか
寂しくないか お金はあるか 今度いつ帰る
手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ
幕末の思想家、吉田松陰の時世の句に、『親思う 心にまさる 親子心』から始まる句がありますが、もし子が親を越えることが決してできないものがあるとするのならば、それは「思う心」なのではないでしょうか。
母がくれた たくさんの優しさ 愛を抱いて歩めと繰り返した
あの時はまだ 幼くて 意味など知らない
そんな私の手を握り 一緒に歩んできた
その優しさを時には嫌がり 離れた 母へ素直になれず
いつか必ず終わりの日が来る日常。
母という存在に、その人生に、ボクはなぜか切なさを感じてしまうのです。
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