[いだてん噺]二十三日間01(1266文字)

 絹枝とマネージャーの黒田乙吉、通訳のマルチソンの3名を乗せた車は市の中央にある森林公園の間を縫って進み、20分ほどしてスロットスコクス競技場の正門前に着いた。

 開催国スウェーデンとともに日本の国旗が翻っていた。
 絹枝が外国選手の到着第1陣だった。

 3人が事務所に行くと、大会委員会の面々はすでに顔を揃えていた。
 通訳のマルチソンが、大会委員長のドクトル・リリエに絹枝を紹介した。

 リリエ氏は私達にも分かるような極く平易な英語でものをたずねられる。
 「人見さん、貴女は日本人の婦人ですか?」‥‥。
 不思議な事を尋ねる人だと思ったが、「イエース」と答えた。
 
 「はあ‥‥そうですか。私は日本の女性は背の低い体の弱い人ばかりだと思っていたが、貴女のような婦人が出て来たのですか‥‥。日本も運動が盛んになったものですね」と感心している。
 私は今度は、元気に大きな声で「イエース」と答えたのです。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 尚、ドクトル・リリエが抱いた日本人女性の先入観がどこから来ているのかを、絹枝はすぐに知ることになる。
 大きなレストランに行くと、日本の芸者の絵などが壁に貼ってあり、これを日本人の女性の姿と思っていたのだと、絹枝は理解したのだった。

 英仏の選手やスウェーデン女子選手の記録等をリリエと話したあと、絹枝は大会競技場での練習の許可を求めた。

 リリエは、すんなりとOKを出した。
 ひとりで淋しいだろうが、毎日午後であればここで練習しなさい、と言ってくれたのだった。

 その後、抜け目のない新聞記者たちに、絹枝らは写真を撮られた。

 夕方、宿舎に戻った絹枝は、マネージャーの黒田乙吉とスウェーデン料理を食したと自伝に記されている。

 私はまた大きな責任をしみじみ感じはじめました。
 夕方、窓側の机に向かった私は考えさせられました。これから大会までには三週間ばかりある。

 この二十二、三日間どうして過してゆこう。
 この二十三日間の利用が上手であればあるほど、来るべき大会には立派に立派に働けるのだ。
 もしこの間を怠るようなことがあったならば、私は再び日本に帰ることが出来ないのだ。

 そうだ、どこまでも勇往邁進、自ら活路を開かねばならないのだ。
 私は二、三時間を費やして、三週間の練習表を作りました。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 さっそく絹枝は、練習を開始するのだった。

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)
(敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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