【三寸の舌の有らん限り】[05]-桂 太郎-(1564文字)

総理大臣・桂太郎は金子堅太郎に、

「君がアメリカに行けば、かの国におけることは君に一任する。渡米するについては特命全権大使という名前をやってもよい。枢密顧問官に任じてもよい。そのほか、いかなる官職でも希望があれば君にやってもよい
 
とまで申し出たが、金子堅太郎は固辞する。
何故か?と怪訝な顔の桂太郎に対し、金子堅太郎は理由を説明するのだった。

もし私が日本政府の官職をつけてアメリカに行けばー。

「金子の行動は日本政府からの訓令であり、金子の演説は日本政府の命令であり、金子のすることは全て日本政府の差し金だと、アメリカ人にそう解釈されるであろう」

また私がアメリカ人と議論した際に言い過ぎた場合ー、

「日本政府にその影響が及ぶだろう」

ゆえにー。

「私は、無官のひとりとしてアメリカに飛び込む。しからば、吾輩のすること、言うこと、ことごとく吾輩のみの責任に帰し、決して日本政府に迷惑がかからない。それゆえ、万事、吾輩に一任してもらいたい」

これが、桂太郎の大盤振る舞いを断った金子堅太郎の考えであった。

桂太郎は了承した。
1848年に山口県萩市で生まれた桂太郎は、幕末、第2次長州征伐(四境戦争)で初陣を飾り、軍人として彼のキャリアは始まる。

もっとも戦場で華々しい武功を立てるタイプではなく、人心掌握に長けたタイプで、むしろその能力は軍人よりも政治家に適していると言ってもいい。

「それじゃよろしい。官職が要らぬことわかった。アメリカで新聞を買収するか、記者を操縦するための費用は十二分に支給しよう」

だが、これも金子堅太郎は固辞する。

「それもお断りする。もし、ひとつ、ふたつの新聞を買収するか、また一、二の記者を操縦するときは、他の新聞は連動して反対し、かえって不利益を招くゆえに、新聞に対しては一視同仁、誠意をもって待遇せんと欲すから、費用は一文もいらぬ」

「分かった。しからば、彼の国(アメリア)のことは、万事君に一任する。これで俺も安心した。しかし、外交のことは小村君に会って詳しく聞いてくれろ」

桂太郎は、外交に関しては外務大臣・小村寿太郎にまかせっきりであった。
金子堅太郎は、小村寿太郎のいる外務省に向かうのだった。

1904年(明治37年)2月5日ー。

1876年(明治9年)に明治政府から「お雇い教師」として東京大学医学部に招かれた、エルウィン・ベルツは、1904年(明治37年)2月5日の日記にこう記している。

2月5日(東京)
 
 平和の見込みは、もはやなきも同然。
 ロシアは遼陽に兵力を集中し、続々と先発部隊を鴨緑江に進めている。
 のみならず、アレクセーエフ総督は、自己の判断により必要とあれば、直ちに宣戦を布告する全権をゆだねられているーとさえ伝えられている。
 もっとも、これは少々まゆつばものである。
 ロシアにすれば、日本の方から宣戦を布告させるのは、はるかに好都合であるからだ。
 [略]
 今ではもう、誰も戦争を疑うものはない。
 事実、いかにして戦争を避け得るかは、もはや推察の限りではない。
 [略]
 またもや号外の世の中である。
 今日、その号外のひとつが、日本はアメリカから軍艦二隻を購入した!とのデマを飛ばした。

「ベルツの日記」 トク・ベルツ編より

(続く)


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」          著:和田 春樹
●「世界史の中の日露戦争」            著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義
●「ベルツの日記」                 編:トク・ベルツ

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