西暦で見た幕末・維新(7)~日米交渉・2日目そして国書受け取りへ~

加藤祐三著「黒船異変」によると、『黒船』という言葉が日本語として登場するのは1603年、江戸幕府の始まり頃です。
西洋の船が防腐や水漏れを防ぐために塗料で船体を黒く塗っていたことから西洋の船を「黒船」と呼んだのだそうです。
しかし、ペリーが来航してからは、蒸気船を黒船と呼ぶようになりました。

泰平の 眠りをさます 上喜撰 たった四はいで 夜も寝られず

明治期に入ってから作られたのでは?という説もあった有名な狂歌ですが、同時代の作であることを示す新資料が10年ほど前に発見されています。
ぺリー来航当時、上喜撰じょうきせんという蒸気船と同じ読みの煎茶があり、煎茶を四杯も飲むと眠れなくなると、黒船=蒸気船四はい(四隻)がやってきて心配で眠れない、という意味をかけています。
もっとも、ペリーの艦隊は四隻のうち、蒸気船は2隻だけで残り2隻は帆船なのですが。

このほかにも、『アメリカが 来ても日本は つつがなし』という、つつがなし(無事という意味)と、(日本には)つつ(筒=大砲)がない を懸けたも狂歌も作られています。残念ながら、日本はつつがなしというわけにはいかず、大変革の時代を迎えることになるのですが。
 
日本側はどうであったかはわかりませんが、ペリーはよく眠れたのではないでしょうか。
なにしろ来航初日に、浦賀のバイスガバナー(副総督に相当)がやって来たのですから。(実際は、浦賀奉行所の与力ですが)
そして、来航翌日となる今朝は、さらに高位の者が来ることになっています。(実際は、昨日の中島三郎助と同じ与力の身分なんですが)
 
ペリーとしては日本にじっくりと腰を据えて開国の交渉をするつもりはなかったのでしょう。なぜなら、ペリー率いるアメリカ東インド艦隊には、石炭・水・食料等を供給するための補給路が存在しなかったからです。
そのために、長崎ではなくこの地で然るべき立場の者に国書を渡すことを優先としたのでしょうか。

さて、ペリー来航二日目。これよりは、引用・参考資料にあげた書籍の情報をもとに、日米の交渉について記述していきたいと思います。

1853年7月9日の朝7時。浦賀奉行所の与力、香山栄左衛門らが、サスケハナ号へ交渉に赴きました。もちろんアメリカ側には、ガバナーという肩書を名乗っています。
香山栄左衛門の主張することは、昨日の中島三郎助と同じです。
 
「日本では異国船の対応は長崎で行い、浦賀では行わない。長崎に征かれよ」という香山栄左衛門の要求に対して、コンティ大佐(大尉?)と新たに会談に加わったブキャナン中佐、アダムス中佐も一向に首を縦に振りません。
『大統領親書をここで然るべき高位の人物が受け取らないというのであれば、我々は武装して江戸に向かう』と主張するのみです。

香山栄左衛門はついに説得をあきらめ、「江戸の幕府に問い合わせをするので、しばらく待っていただきたい」と申し出ます。
ペリー側もそれを認め、3日間待つので7月12日に回答を受け取ることを香山に伝えます。
そして国書を受け取るのは然るべき立場の者(将軍か老中)に限りること、国書の返答も長崎では受け取らないことの条件をつけることを忘れませんでした。

直ちに浦賀奉行所に戻った香山栄左衛門は奉行の戸田氏秀に報告しました。
戸田氏秀は昨日に続き、現状の状況を報告する書面を作成し、香山自身に書面を持たせて早船で江戸在勤の浦賀奉行、井戸弘道のもとへ行くように命じます。
7月9日の夕刻に香山栄左衛門は江戸在勤の浦賀奉行、井戸弘道のもとへと書面を届けて現状の報告を行いました。
 
直ちに江戸在勤の浦賀奉行、井戸弘道から老中首座、阿部正弘へと報告はされたのですが、国書の受け取りをどこで行うかについて、いまだ徳川幕府の首脳たちの評議は続いており、容易に結論がでない状況でした。

一方のペリー側も、7月12日まで待つとはいったものの、何もせずにいるつもりは毛頭なく、7月11日から江戸湾の測量を始めます。
交戦の意思はなく、あくまでも測量のためであるとして測量船の先頭に白旗を掲げます。
もっとも、この測量の目的は次回にペリーが大艦隊を率いてきたときに、江戸湾に入るために必要な水深や潮流の状況を調べているのですが。

そして徳川幕府側も(というか老中首座の阿部正弘が)、7月12日についに結論を出します。

7月14日、久里浜にてアメリカ大統領からの国書を、江戸在勤の浦賀奉行、井戸弘道が出向いて受け取ると。
そして、香山栄左衛門にその旨を、アメリカ艦隊司令官に告げよとの命が下されます。
 
国内の泰平を保つために、4つの口を除いて国を閉ざし、幕府にも、諸藩にも海軍力をもつことの必要性を認めなかった徳川幕府には、この選択しか道はなかったのでしょう。

ついに、徳川幕府の外交政策の大転換、開国に向けての最初の一歩が踏み出されたのでした。


引用・参考資料
■「ペリー来航」著:三谷博 出版社:吉川弘文館

■「開国史話」著:加藤祐三 出版社 ‏ : ‎ 神奈川新聞社 


■「浦賀奉行所」著:西川武臣  出版社 ‏ : ‎ 有隣堂


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