1964年の東京オリンピック招致のプレゼン噺(1)
Hello world,はーぼです。
NHK大河ドラマ「いだてん」は視聴率的には決して善戦したと言えないですが、明治から戦後の日本までを描く大河ドラマとしては異例の時代設定で、幕末維新か戦国時代といった大河ドラマでおなじみの時代から、学校の授業でもあまり詳しくは教えてくれなかった時代を、オリンピックという切り口で見せてくれた、貴重な大河ドラマだったと思います。
印象的なシーンは、いくつもありましたがその中のひとつ、東京へのオリンピック招致のために、星野源さん演じる平沢和重氏が行うプレゼンの場面も忘れられません。
ボクならばあのシーンをこう描いてみたい、そんな妄想を2回にわけて書いてみることにしました。歴史的事実ではないフィクションであることは、ご了承、ご勘弁ください。
■代役
ー1964年夏季オリンピック開催地を決めるためのIOC総会は、1959年5月25日、ミュンヘンで開催された。
開催都市として立候補した都市の代表が制限時間45分間のプレゼンテーションを行ったあと、IOC委員の投票によって決定される。
東京招致の使節団は総勢28名のなかのひとりとしてミュンヘンにやってきた、JOC総務主事の肩書をもつ田畑政治は、1953年に前触れなく来日したIOC委員、エリック・フランケルとの会談の席での言葉を思い出す。
東京にオリンピックを招致すべきだ。なぜあなた方は手を上げないのだ。ーそうフランケルは力説した。
去年(1952年)、わたしの母国フィンランドでヘルシンキオリンピックが開催された。フィンランドは、特段、人目を引く名勝もなければ、舌を鳴らす名物もない。
だが日本は違う。美しい名勝は各地にあり、料理も素晴らしい。
オリンピックを開催し、世界中の人に日本の素晴らしさを知ってもらえば、毎年大勢の観光客が世界中から日本にやってくる。観光客が日本で使うお金で、オリンピック開催にかかる費用はすぐに回収され、物心の豊かさを日本国と日本国民にもたらすことになるだろうー。
フランケルの言葉に背を押され、田畑たちはオリンピック招致に動き出す。
まず先立つものは金、オリンピック開催にかかる費用の捻出であった。
田畑は時の首相、岸信介に資金援助を求めた。
「で、どのくらいを想定している?」
オリンピック招致の嘆願を聞いた後、オリンピック開催の費用はどれくらいかかる?と岸は田畑に問う。
「断言はできません。ですが、200億円以内には収まるかと」
200億円という数字を聞いても岸首相は顔色ひとつ変えない。すこしだけ間をおいて口を開いた。
「競技場等の施設は、後々まで国民が利用できるので、これは税金で建設できる。国と東京都の折半としよう。しかし、運営費は後に残らず消えるものだから、全額を国と東京都が負担することはよろしくない。運営費のうち、国と東京都が面倒を見るのは半額までとし、残りは組織委員が工面する。これでどうだろうか」
国と東京都の支援を確約してくれたのだから、田畑に異論などなかった。
そして数えきれないほどの問題・困難を乗り越えてここまでたどり着いた。
「田畑さん。相手は、デトロイト、ウィーン、ブリュッセルですが、東京が優位です」
IOC総会の議場に入った田畑のもとに、かねてより東欧で誘致活動を進めていたJOC委員の大島鎌吉がやってきて、耳元でささやいた。
「ウィーンは、選手村の建造で手を焼いていて、市長が個人的見解として東京が確実だろうと記者会見でいうほどです。ブリュッセルの本命は1968年。今回はあくまでも手を挙げての様子見、本腰ではありません」
「となると、相手はデトロイトだけか」
「ええ。ですが東欧6か国がもつ8票のうち、最低でも6票は確保できたと思います」
「よくやってくれた。ありがとう、大島」
「いえ。大票田の南米各国を回ってくれた、北島さんやフレッド・和田さんに比べれば」
「・・・そうだな。ところで、大島。お前は俺のことが嫌いなんだろう」
「なんですか、いきなり。尊敬していますよ、田畑さんのことは」
「でも、嫌いなんだろう」
「田畑さんと私は方向性が合わないだけです。それだけです」
「どうしても言わないか。頑固なやつだ」
「田畑さんがそれをいいますか」
「嫌いな俺の指示に文句ひとつ言わず、よくやってくれた。本当にありがとう」
「方向性は違いますが、田畑さんと同じくスポーツは好きですから」
「スポーツには番狂わせがある。それがいいことろでもあり嫌なところでもある」
「では、田畑さんにとってあの人は、番狂わせということですか?」
大島が目をやった先には、使節団とともにIOC総会にやってきた、プレゼンターをつとめるNHKニュース解説者の平松和重がいた。
「なんでも、東京オリンピック開催はまだ時期尚早だという持論をお持ちの方だとか」
「予定していた外務省の参事官がアキレス腱を切るケガをしたからな。急遽、代役をお願いした」
「自説を曲げて、よく引き受けてくれましたね」
「ただし、IOC総会で読み上げる原稿は自分で作らせてもらうことが条件でな」
「田畑さん、それでOKしたんですか?原稿には目を通されたんですか」
「いや。信じて任せたんだから、いちいち口出ししちゃいかんだろう。それに、彼は嘉納先生の最後を看取った人なんだ」
「嘉納先生の最後を看取った彼が、東京にオリンピックを招致するためのプレゼンターをする・・・。これも嘉納先生のお導きなんでしょうか」
「そうあって欲しいと俺は思ってるよ、大島」
やがて各都市のプレゼンが始まった。最初のブリュッセルは大島の情報通り、さほど熱意の感じられない内容だった。次のデトロイトは逆に熱がこもりすぎたのか、制限時間の45分間を超え、1時間をすぎてもまだ終わる気配がない。会場の空気はだらけきっていた。
いい加減ひっこめ。田畑は心の中で叫んでいた。こんなだらけきった空気の中で次のプレゼンをする平沢の身にもなってみろ。
ようやくデトロイトのプレゼンが終わり、平沢が登壇した。
東京都知事である東龍太郎が、「嘉納治五郎の最後を看取った人であります」と平沢を紹介した。
その言葉に、田畑は会場のだらけた空気が、一機に変わったような気がした。
IOC委員たちに、フランス語と英語でスピーチの内容を書かれたプリントが配られた。
一目見て分量が少なく、これだけで45分も持つのかと、だれもが思った。
スピーチは短いほうがいいというのが平沢の持論だった。
彼はプリントを配ることでフランス語通訳の時間を減らし、自らのプレゼンを15分間で終わらせるつもりだったのだ。(つづく)