[学者・軍人・政治家]【10】 リーゼ・マイトナー[02][1873文字]
核兵器のある世界はどういう経緯で出来たのか、歴史の流れをたどっていくシリーズの10回目です。
前回は、核分裂の発見者のひとり、オーストリア出身の物理学者リーゼ・マイトナーがドイツのベルリンに旅立つまでまででした。
今回は、リーゼ・マイトナーが31年間もの間、研究仲間となったオットー・ハーンに出会うまでです🙂。
尚、物理学をはじめとする様々な専門的または難解な話は、ボクに基礎知識すら無いため😵💫、ご質問されてもお答えできませんのでご了承ください。
リーゼ・マイトナーがベルリンにやってきた1907年の時点において、科学研究において、ベルリンはウィーンよりも進歩していたが、女性に対する学問の扉はウィーンよりもはるかに閉ざされていた。
ベルリン大学の門をくぐったリーゼ・マイトナーは、教授も学生も男性しかいないことに気付き、内気な性格の彼女はいたたまれなくなってしまった。
リーゼ・マイトナーを救ったのは、ゲルタ・フォン・ウビッシュという、聴講生として授業に出ていた女性である。ゲルタが教授たちを説得して、学位は取れないが講義を聴講できるようにさせてもらっていた。
ベルリン大学において女性が自分ひとりでないということがリーゼ・マイトナーを勇気づけた。
マックス・プランクの講義に出席する承認を得るため、彼女はマックス・プランクに会い、その旨を伝えた。
「しかし、あなたはすでに学位をお持ちではないですか。これ以上、何を望まれるのですか?」
マックス・プランクの問いに、リーゼ・マイトナーは答える。
「私は物理学を、真に理解したいのです」
マックス・プランクはそれに対して二言三言、優しい言葉を返したが、それ以上は何も言わなかった。
『女性を大学から締め出すのは、あまりにも長く続いた不公平である』という意見をマックス・プランクは持っていた。
しかし同時に、『女性が学生としてきちんとやっていけるかが疑わしい』、『例外的に科学を理解できる女性がいるにしても、学問は女性の本質に反している』とも考えていた。
自分の目の前にいるリーゼ・マイトナーは、その例外的な存在なのだろうとマックス・プランクは考え、講義に出席することを許可したのだった。
講義に出ることを許可されたリーゼ・マイトナーだが、講義に出るだけでもう手いっぱいという状況でもなかったので、ベルリン大学で実験県有ができる場所はないか探して回ることにした。
ある時、実験物理学研究所主任のハインリッヒ・ルーベンス教授の実験室を訪ねて聞いたところ、教授自身の実験室に入ることをリーゼ・マイトナーは勧められたのだった。
リーゼ・マイトナーがどう返事をすればよいか迷っていると、ハインリッヒ・ルーベンス教授は、言葉を続けて言った。
『ドクター・オットー・ハーンが君と共同研究をしたいと言っていたのでね』と。
ほどなくしてオットー・ハーンが、実験室に姿を現した。
31年間に長きにわたり研究仲間となるオットー・ハーンとの出会いであった。後にオットー・ハーンはノーベル賞を受賞することになる。
参考・引用資料:
●「シーベルトとベクレル」 山崎岐男著
●「キュリー夫人伝」 エーヴ・キュリー著
●「キュリー夫人と娘たち」 クロディーヌ・モンテイユ:著
●「プルトニウム」 ジェレミー・バーンシュタイン著
●12月1日 「ウラン」の発見者マルティン・クラプロート誕生(1743年)(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社 (gendai.media)
●エックス線物語 馬場祐治 著
●「核エネルギーの時代を拓いた10人の科学者たち」 馬場祐治 著
●「原子爆弾」 内山克哉 著
●「大気を変える錬金術」 トーマス・ヘイガー 著
●「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 宮田 親平 著
●「リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者」 マリッサ・モス 著
●「核分裂を発見した人: リーゼ・マイトナーの生涯」 シャルロッテ ケルナー 著
●「リーゼ・マイトナー: 嵐の時代を生き抜いた女性科学者 1878-1968」 R.L.サイム 著
●放射線医学の歴史 (radiology-history.online)