[歴史のすみっこ話]いまさらですが文化の日、その2(1856文字)

  前回、1948年(昭和23年)に公布・施行された『祝日法』によって、文化の日が、1946年11月3日に日本国憲法が公布されたことから、11月3日を、国民の祝日『文化の日』として定めた、と書いたのですが、ここで新たな疑問がわいてきます。
 
 なぜ、日本国憲法の公布日を『文化の日』と呼ぶのか?、とー。

 なので調べてみました _φ(◉_◉へ)。

 1948年(昭和23年)ー。
 1947年5月3日に、日本国憲法が施行されました。その翌年のことです。

 日本国憲法も施行され、戦後日本の祝日を定める『国民の祝日に関する法律』の審議が、参議院と衆議院の、それぞれの『文化委員会』で行われました。

 『「公布日がいいね」と参議院『文化委員会』が言ったから11月3日は「憲法記念日」』

 サラダ記念日風・・・・。すみません、もうしません(⦿_⦿)。
 
 参議院の文化委員会では、『憲法記念日は11月3日』の意見が多かったのですが、連合国軍最高司令官総司令部(以下GHQ)幕僚部の組織のひとつ、民間情報教育局が、難色を示します。
 
 「憲法記念日なら、施行日である5月3日で良いではないか」

 衆議院の『文化委員会』は、「憲法記念日は5月3日」を承諾しました。

 ですがー。
 参議院の『文化委員会』委員長である山本勇三氏は、諦めませんでした。

 この山本勇三氏とは、『真実一路』、『路傍の石』などの著作がある作家の山本有三です。
 時の内閣はGHQの承認・閣議の了解を経て、極秘裏に日本国憲法草案の口語化を進めたのですが、その際に内閣が口語化の素案を依頼したのが山本有三なのです。

 山本有三は日本国憲法の前文などを口語化素案として作成し、その素案をもとに、日本国憲法の第一次案が、入江俊郎(法制局長官)、佐藤達夫(法制局次長)、渡辺佳英(法制局事務官)らによって作られました。
 (日本国憲法が口語で作成された最初の法律となります)
 
 なるほど。山本勇三氏(山本有三)は、日本国憲法と深い関わりがあったのですね_φ(◉_◉へ)フムフム。

 しかし、私はあきらめなかった。憲法記念日は実施の日よりも公布の日のほうが適切であること、祝日の配分関係、季節、天候の点などを数えあげて、この日のために、七か月もがんばったのである。

「文化の日」がきまるまで 著:山本有三 

 しかし、この山本勇三氏の頑張りむなしく、この法案担当である民間情報教育局ウィリアム・ケネス・バンス氏は、山本勇三氏にいつも『ノー』を突きつけます。

 『いつもノー』・・・・山本勇三氏は、何回訴えたんでしょうね。_φ(◉_◉;へ)

 最後には、ウィリアム・ケネス・バンス氏は、上司のホウジェ課長を山本勇三氏に紹介してくれましたが、そのホウジェ課長も『ノー』と言います。

 しかし、山本勇三氏はあきらめません。引き下がらずに意見を述べると、ホウジェ課長は言いました。
 
 「11月3日は、どうしてもいけないのだ」

 「それは、なぜか?」

 「あなたに特別に話すが、文化委員会に報告しないでくれ」

 そう言ってホウジェ課長が説明したのが、以下です。

 あなたがたは、総司令部が干渉しすぎると思っているでしょうが、総司令部もまた干渉を受けているのです。
 何しろ連合軍なのですからね。
 ソ連やオーストラリアを初め、各国から非難や注文が絶えず殺到しているのです。
[略]
 ごらんなさい。前イギリス代表であったオーストラリアのマクマホンボール氏は、こんなに長ながとマッカーサー元帥を非難しています。
 この中にも、十一月三日のことが出ていますよ。
 
 憲法公布は十一月一日にやるはずであったにもかかわらず、三日に変更した。理由は、半年後の実施の日が、メーデーとかち合って、混乱をおこすおそれがあるというのだが、日本の実際の腹は、明治節を温存し、ふたたび復古的な日本に立ち返らせようとしているのだ。
 元帥は甘い。日本にだまされているのだ。
 
 ーーどうです。そう書いているでしょう。
 こういう意見は、これだけではありません。
 こういうしだいですから、この日は憲法記念日として許可するわけにはいかないのです。
 あなたの意見はもっともですが、こちらにも、つらい事情があるのです。

「文化の日」がきまるまで 著:山本有三 

 あ。こう言われては、ぐうの音もでない・・・・。_φ(◉_◉;へ)
 
 文化の日の話、続きます。


 ■参考・引用資料
  〇口語化憲法草案の発表 | 日本国憲法の誕生

  〇「文化の日」がきまるまで 著:山本有三  

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