CIEの、世論社会調査課長ジョン・キャンベル・ペルゼルから、「日本人の読み書き能力調査」報告書の文章の書き直しを頼まれた柴田武氏は、どうしたでしょうか。
柴田氏は以下のように語っています。
かくして柴田武氏がノーと首を横にふったことで、漢字最大の危機、ローマ字表記化される未来は回避されたのでした。
1946年4月。
作家の志賀直哉が雑誌「改造」に、「國語問題」と題した随筆を書いています。
志賀直哉が書いた国語問題の結論は、『日本は思い切って世界中で一番いい言語、一番美しい言葉を国語に採用してはどうか。それにはフランス語が最もいいのではないか』、即ちフランス語を国語に採用してはどうか、というものでした。
作家の紀田順一郎氏はこの発言に対して、当時の社会状況を加味し、以下の見解をのべています。
戦争が終わった直後、様々な意見、様々な動きがあったようです。
次回より漢字の制限を明確に打ち出した『当用漢字』について、今に続くその歴史の流れを追っていきたいと思います。