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【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪8~だが断る~[1090文字]

※之哲さんから、志賀直哉の「国語問題」に関する考察 ならびにローマ字化に関する研究資料に関するコメントをいただきました。
ご教授いただき、ありがとうございます。
ローマ字化に対する経緯について、資料を読み理解を深めたのちに当記事については訂正させていただく予定ですので、ご了承ください。

CIEの、世論社会調査課長ジョン・キャンベル・ペルゼルから、「日本人の読み書き能力調査」報告書の文章の書き直しを頼まれた柴田武氏は、どうしたでしょうか。
柴田氏は以下のように語っています。

ペルゼルいわく「この報告書を書き直してくれ。」というわけです。私は、直ちに拒否しました。
リテラシー・テストの定義はそちらからなすったんでしょう。その定義に従って、こうしてみんなと相談してやったんだから、学者として直すわけには行きません。「ああ、そうか。」で終わりました。
 
 ペルゼルはアメリカにすぐ帰りましたが、最後はそれだった。
だからCIEの中でこれを利用しようと考えていたんでしょう。
つまりもっとでききないというふうに書いてあれば、ローマ字化に便利でしょう。
成績がいいというのでは、彼らに不利になるわけです。
(中略)
 もともと私はローマ字論者です。
もしローマ字論者がここで政治力を発揮して、うんとできないと報告書の文章を改竄するならば、これはそのために役だったかもしれない。
しかし、私は政治家的素質はなかったようで、調査マンとしての学問的立場を崩すわけにはいきませんでした。
実は、そういう一件がありました。このことは、しばらく日がたつまで誰にも話しませんでした。(『国語施策百年の歩み』十五ページ)

『戦後日本漢字史』(著:阿辻哲司)から引用


かくして柴田武氏がノーと首を横にふったことで、漢字最大の危機、ローマ字表記化される未来は回避されたのでした。

1946年4月。
作家の志賀直哉が雑誌「改造」に、「國語問題」と題した随筆を書いています。

志賀直哉が書いた国語問題の結論は、『日本は思い切って世界中で一番いい言語、一番美しい言葉を国語に採用してはどうか。それにはフランス語が最もいいのではないか』、即ちフランス語を国語に採用してはどうか、というものでした。

作家の紀田順一郎氏はこの発言に対して、当時の社会状況を加味し、以下の見解をのべています。

今日から見ればいかにも極論のようだが、彼が四〇年間の文筆生活で日本語の不便さ、不完全さを痛感し続けていたという事実は、それなりに受け止めなければなるまい。
さらに彼は明治における森有礼の英語採用論が実現していたら、今度の戦争は起こらなかったかもしれないとまでいっているが、このような論調が当時、かなり一般的だったことを忘れてはならないだろう。

『日本語大博物館』 著:紀田順一郎より引用


戦争が終わった直後、様々な意見、様々な動きがあったようです。
次回より漢字の制限を明確に打ち出した『当用漢字』について、今に続くその歴史の流れを追っていきたいと思います。

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