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「光る君へ」への長い道のり ~『第4回 「五節の舞姫」振り返り』(その3)(ネタバレ)~[2199文字]

大河ドラマ「光る君へ」 第4回『五節の舞姫』 の振り返り、その3です。
「その3」はやはり、詮子姐さん、藤原家殴り込みパートになるのでしょうね (´-`)。

※以下より、第4回のストーリーを記述しています。未視聴の方は先に第4回をご視聴ください🙇。

■『光る君へ』第4回『五節の舞姫』主な登場人物

●まひろ/紫式部[むらさき しきぶ]主人公〔吉高由里子
●藤原道長
[ふじわら の みちなが]右大臣・藤原兼家の五男〔柄本佑
                 [大河ドラマでは三男]

●円融天皇[えんゆう てんのう] 第64代天皇〔坂東巳之助
●師貞親王[もろさだ しんのう] 後の花山天皇本郷奏多
 
●藤原兼家[ふじわら の かねいえ]:右大臣。策略家〔段田安則

●藤原道隆[ふじわら の みちたか]右大臣・藤原兼家の長男〔井浦新
●藤原道兼[ふじわら の みちかね]右大臣・藤原兼家の三男〔玉置玲央
                 [大河ドラマでは次男]

●藤原詮子[ふじわら の あきこ] 右大臣・藤原兼家の次女、
                 円融天皇の女御〔吉田羊

[第4回『五節の舞姫』 振り返り]その3

内裏ー。
退位が決まった円融天皇に会い、詮子はいたわりの言葉を伝えようとします。
何度も鏡を見て容姿を気にする乙女な詮子姐さん。
まぁこの時22歳くらいですから( º言º)。

いたわりの言葉を述べますが、円融天皇から思いもかけぬ言葉を投げかけられます。

黙れ。朕に毒を盛ったのはお前と右大臣のはかりごとか。何もかも、お前の思うとおりになったな。
懐仁が東宮となるために朕は引く。なれどお前のことは生涯許さぬ。二度と顔を見せるな。

第4話より

これはフィクションのパートなのでしょうが、凄いセリフを思いつきますね😨。
実際のところは、詮子円融天皇に対して冷淡と思えるような対応をしているようで、ドラマのように一方的ではなかったのではと思うのですが🤔。

さらに円融天皇詮子に、「去れ!」と檜扇(ひおうぎ)を投げつけます。
右の頬に血をにじませる詮子。

人のごとく血なぞ流すでない。鬼めが

第4話より

極めつけのパワーワードを叩きつけて、去って行く円融天皇。

鬼って・・・。すごいパワーワードやね( º言º)。

円融天皇の体調不良は、毒をもられたのではないかと、藤原実資が疑問をもちます。
そこで、実資は独自に調べようとしましたが、確証は得られず、また内裏の女房達からの陰口の圧力もあり、円融天皇の体調が回復してきたことからも、自分の考え違いであったと考え直して調査を止めています。
 
実資以外は誰も信じられないというスタンスの円融天皇ですから、実資以外の誰かから毒を盛られたという情報を得たわけではないと思います🤔。

なので、右大臣から毒を盛られたというのは、状況証拠と右大臣なら、これくらいやりかねないという、円融天皇の強迫観念からきた発言と思われます。

ただ、無関係の詮子まで、この陰謀に加担していると思い込んだのは、大きな間違いでしたが🤔。

詮子に対する暴言や暴力については、それほどまでに、この時期の円融天皇が精神的に追い詰められて、平常心を欠いていたということを示す演出なのでしょうね🤔。

藤原兼家の屋敷にて、うたげに興じる兼家道隆道兼、道長らのもとに、殴り込みをかける詮子姐さん。鬼気迫る迫力でした😨。

帝に毒を盛ったというのはまことでございますか!父上!
帝と私の思いなぞ、踏みにじって前に進むのが政。分かってはおりましたが、お命までも危うきにさらすとは・・・

第4話より

いきなりド直球ですが、そこは兼家
「何を仰せなのか分かりませぬな。お命とは誰のお命のことでございましょう」と、かわします。詮子姐さんの怒りの矛先は、落ち着かせようとする兄の道隆へと向かいます。

兄上は何もご存知ないのですか!嫡男のくせに!

4話より

嫡男だから知らせてないんですよね。汚れ仕事は次男の道兼にさせるという切り分けが徹底しています💦。
最期には、薬師を呼ぼうとする道兼に、詮子は「要らぬ!薬など生涯のまぬ」と叫び、去って行きます。
民放では、製薬会社が番組スポンサーにいたら絶対に言えないセリフですね( º言º)。

この詮子姐さん、藤原家殴り込みパートはフィクションですが、このシーンを創作したのは、後年に詮子道長との結びつきを強めることの理由付けでもあったのでしょう。あとあとに続く伏線を張るのが上手いですね🤔。

永観2年(984年)8月。
師貞親王は即位し、第65代天皇、花山天皇となります。
皇太子には、円融天皇の皇子である懐仁親王が立ちます。
即位の2か月後に、藤原斉信の妹、忯子(よしこ)が入内します。

藤原為時師貞親王が帝になったおかげで12年ぶりの官職(=式部丞)を得ました。その祝いの宴が、為時の屋敷にて行われました。

遅れても 咲くべき花は 咲にけり 身を限りとも 思ひけるかな

この時期に為時が詠んだ歌です( º言º)。

しかし、この為時のつかの間の春も、兼家らの謀略によって、儚くも終わることになるんですけどね。それはまた後日の話になりますが ( º言º)。

ということで、長くなりましたので『第4回「五節の舞姫」の振り返り その3』は、その4へと続かせていただきます(´-`)。

最後までお読み頂き、ありがとうございました🙇。

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