[学者・軍人・政治家]【21】マルヌ会戦02[2040文字]
核兵器のある世界はどういう経緯で出来たのか、歴史の流れをたどっていくシリーズの21回目です。
前回は、パリ目前まで迫ったドイツ軍に、フランス・イギリス軍が反撃し、ドイツ軍の「シュリーフェン計画」が破綻するマルヌ会戦まで、でした。
今回は、イープル会戦を経て塹壕が作られ、西部戦線が膠着状態に陥り、それを打破するために毒ガス兵器の開発に着手するまで、です🙂。
尚、物理学をはじめとする様々な専門的または難解な話は、ボクに基礎知識すら無いため😵💫、ご質問されてもお答えできませんのでご了承ください。
(第1次)マルヌ会戦は、(壊滅的ではないが)ドイツ軍の敗北で、9月12日に終了した。
9月9日にドイツ参謀総長モルトケが、全軍に撤退を命じたことも、敗北の要因のひとつだが、撤退を命じたのは、モルトケが派遣したヘンチュ大佐とする資料もある。
いずれにせよ、9月14日にモルトケは参謀総長を解任させられ、後任としてプロイセン王国の陸軍大臣、エーリッヒ・フオン・ファルケンハインがその職に就くことになった。
この(第1次)マルヌ会戦の後、ドイツ軍とフランス・イギリス連合国軍が血みどろの激戦を繰り広げ、大量の戦死者を出した「(第1次)イープルの会戦」を経て、両軍とも敵の砲火から身を守るための塹壕を掘り進んでいくことになる。
塹壕はスイス国境からイギリス海峡までの間、フランス領にも食い込み全長750キロメートルに渡って作られた。こうして塹壕による西部戦線が構築された。
塹壕により兵士の大量死は抑制されたが、戦線は膠着化した。
戦争が始まる前、思い描かれていた短期決戦の構想は崩壊し、持久戦が始まることになる。
(第1次)マルヌ会戦から(第1次)イープル会戦を経て塹壕が構築され、戦線が膠着状態に至る様を見ていた、ドイツ人化学者がいた。
ベルリン大学の教授、ワルター・ヘルマン・ネルンストであった。
二人の息子が志願して戦場に向ったためか、それとも祖国への愛国心によるものか、ネルンストは齢50歳の身であるにもかかわらず、戦場に出ることを志願する。
視力が弱っていたものの、自動車マニアであったことから自動車部隊を志願し、許可されている。
マルヌ会戦では、ドイツ第一軍に属し、ネルンストの運転する車がフランス軍に捕まりかかるという危機もあったが、難を逃れ、クリスマス休暇にはドイツに帰国することができた。
「この戦争はすでに負けた」
ドイツに戻ったネルンストは、そう言ったという。
しかし、ネルンストは、祖国の戦争から距離を置かなかった。
最高司令部に他の化学者たちと一緒に召集されたネルンストは、顧問団の一員となる。
最高司令部が顧問団に期待したのは、不足している弾薬を多く製造すること、次いで、塹壕に身を隠している敵兵士たちにダメージを与える新兵器の開発であった。
参考・引用資料:
●「シーベルトとベクレル」 山崎岐男著
●「キュリー夫人伝」 エーヴ・キュリー著
●「キュリー夫人と娘たち」 クロディーヌ・モンテイユ:著
●「プルトニウム」 ジェレミー・バーンシュタイン著
●12月1日 「ウラン」の発見者マルティン・クラプロート誕生(1743年)(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社 (gendai.media)
●エックス線物語 馬場祐治 著
●「核エネルギーの時代を拓いた10人の科学者たち」 馬場祐治 著
●「原子爆弾」 内山克哉 著
●「大気を変える錬金術」 トーマス・ヘイガー 著
●「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 宮田 親平 著
●「リーゼ・マイトナー 核分裂を発見した女性科学者」 マリッサ・モス 著
●「核分裂を発見した人: リーゼ・マイトナーの生涯」 シャルロッテ ケルナー 著
●「リーゼ・マイトナー: 嵐の時代を生き抜いた女性科学者 1878-1968」 R.L.サイム 著
●「第一次世界大戦史」 飯倉 章 著
●「毒ガスの夜明け」 井上 尚英 著
●「八月の砲声」 バーバラ・タックマン 著
●「第一次世界大戦」 木村靖二 著
●「勃発! 第一次世界大戦」 山崎 雅弘 著
●「第一次世界大戦の歴史 大図鑑」 H・P・ウィルモット 著
●「日本人のための第一次世界大戦史」 板谷敏彦 著
●「オットー・ハーン自伝」 オットー・ハーン 著
●「ヒトラー(上):1889-1936 傲慢」 イアン・カーショー 著
●「ヒトラー: 虚像の独裁者」 芝 健介 著
●「マルヌの会戦」 アンリ・イスラン 著
●放射線医学の歴史 (radiology-history.online)
●原爆と放射能のイメージ 中尾麻伊香 著
●リエージュの戦い Wikipedia