[いだてん噺]二十三日間02(1513文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて2日目の8月5日ー。
朝9時に通訳のマルチソンが、絹枝とマネージャーの黒田乙吉の写真が載っている新聞を持ってきた。
新聞に写真が掲載されたためか、絹枝は朝10時頃に日本領事館を訪ねていているが、自伝には『町を歩くと人が見て困る』と記されている。
『中には「あ、あれがヤポン(=日本)のチャンピオンか」と言っているのが耳に入ることも度々ある』とも記されている。
午後2時にスロットスコクス競技場に入り、練習を始めた。
絹枝が戸惑ったことのひとつに、スタートに使われるフレーズがあった。
いわゆる「位置について、よーい、ドン!」は、英語では、On your marks(スタートラインについて), get set(スタート準備をして), go!(走れ)になるが、これをこの大会ではスウェーデン語ですることになる。
そして絹枝は自伝に『(円盤投げの)円盤を初めて手にもった』と記している。
それまで取り組んだことが無い競技にも、絹枝はエントリーしていた。
(『毎日同じ時間に練習している男子の選手たちが親切に教えてくれる』と絹枝は記しているが、これはスタートの取り方なのか、円盤の投げ方なのかが、その両方なのか分からなかった)
練習が終わり、体を洗った後、マネージャーの黒田乙吉とその男子選手たちと歩いて帰る途中で、男子選手から『短距離とブロードジャンプ(幅跳び・走り幅跳び)は、あなたの成績からおして有望だ」と絹枝は言われたが、絹枝自身は『私にはかえって短距離を最も心配』していたと記している、
ホテルに帰ると、ストックホルムの永井公使から手紙が来ており、「この国のマッサージは非常にいいから、やってもらったらどうか」と勧めるので
、絹枝はホテルでマッサージを1時間ほどしてもらったが、絹枝には合わなかったのか、『慣れないためか、脚の筋肉がはなれてしまう程痛い』と書いている。
気分転換もあったのか、午後7時からサッカーの試合を見に行き、『そのキック、パス、ヘッディングなどは大変綺麗なものであった』と感想を書いている。
その後ホテルに帰ると、早くからベッドに入って、日本の雑誌『女性』を読みふけるのだった。
(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)
(敬称略)
■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』 三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』 鈴木明:著
●『オリンピック全大会』 武田薫:著
●『陸上競技百年』 織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia