【三寸の舌の有らん限り】[14]-仁川港-(1207文字)

 2月6日に佐世保軍港を出撃した、装甲巡洋艦「浅間」・第四戦隊巡洋艦「浪速」「明石」「高千穂」「新高」4隻、水雷艇8隻の計13隻からなる瓜生戦隊に与えられた任務は、陸軍の臨時派遣隊輸送船3隻の護衛並びに仁川港に停泊中のロシア軍艦の排除、であった。

 居留民保護の名目で、仁川港には各国の艦艇が停泊していた。ロシア太平洋艦隊所属の巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」も同様であった。

 但し仁川港内に停泊中の日本の巡洋艦「千代田」は、居留民保護の為ではなく、その停泊理由はロシアの動向を監視するためであった。

 2月7日夜。巡洋艦「千代田」はひそかに仁川港を抜け出し、2月8日早朝に瓜生戦隊に合流した。
 巡洋艦「千代田」から、仁川港内は平穏で巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」ともに平常通り碇泊、との情報を受けた瓜生艦隊の瓜生司令官は、陸軍の臨時派遣隊の仁川港上陸を決定した。
 
 2月8日17時30分過ぎより陸軍の臨時派遣隊の上陸が開始され、2月9日未明に上陸は無事完了する。

 派遣隊指揮官木越安綱少将は二個大隊をロシア領事館と海岸の警備のため仁川に残し、自ら二個大隊を率いて、同日中に京城へ侵入する。
 この派遣隊の速やかな京城進出は、同地の人々に日本優位を印象づけた。

 上陸の終了を見計らって瓜生艦隊の瓜生司令官は、仁川の日本領事館を通じ、巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」に2月9日までに仁川港を退去すること、退去しないのであれば攻撃を行う旨の通告を発した。

 2月9日正午過ぎ。仁川港を出港した巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」と、港外で待ち構えていた瓜生艦隊は砲撃戦を始める(仁川沖海戦)。
 多数の舞中弾を浴び、巡洋艦「ワリヤーグ」並びに砲艦「コレーツ」は再び仁川港に退却し、後に自沈している。

 圧倒的戦力で、日本は仁川港の制圧に成功した。

 陸軍の臨時派遣隊の上陸を知った仁川のロシア領事は、日本領事館に降伏を申し出た。
 フランス公使と日本の林権助公使が協議し、京城のロシア公使・護衛隊共々、韓国から退却することとした。
 2月12日にロシア公使は仁川港でフランス軍艦に乗艦し、韓国から退去した。
 尚この時、伊地知幸介はロシア公使・護衛隊と仁川まで、汽車で同行している。

(続く)


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」          著:和田 春樹
●「日清・日露戦争における政策と戦略」      著:平野龍二
●「世界史の中の日露戦争」            著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義
●「児玉源太郎」                 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」            著:岡崎 久彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」         著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」                編:トク・ベルツ

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