[学者・軍人・政治家]【08】 フリッツ・ハーバー[02][2242文字]

核兵器のある世界はどういう経緯で出来たのか、歴史の流れをたどっていくシリーズの8回目です。

前回は、ラザフォードらの発見と、『毒ガス開発の父』フリッツ・ハーバーの登場まででした。
今回はフリッツ・ハーバーがアンモニアの化学合成に成功するまでです。
尚、物理学をはじめとする様々な専門的または難解な話は、ボクに基礎知識すら無いため😵‍💫、ご質問されてもお答えできませんのでご了承ください。


 北海道函館市、函館山のふもとにある函館公園にある函館中央図書館の近くに『ハーバー遭難記念碑』がある。

 明治7年 (1874年)2月に函館に着任した、ドイツ領事補ルードヴィッヒ・ハーバーが排外思想をもつ日本人によって、この近くで殺害された。
 幸い深刻な外交問題にならずに済み、ルードヴィッヒ・ハーバー領事補の遺体は外国人墓地に埋葬された。
 
 『ハーバー遭難記念碑』は、大正13年 (1924年)に、ルードヴィッヒ・ハーバーの甥、フリッツ・ハーバーを迎えて没後50周年祭が開催された際に旧墓標を遭難地に移して記念碑としたものである。

 フリッツ・ハーバーが来日した際、日本の新聞紙は『毒瓦斯ガス博士、来朝』などど見出しをつけたという。

 毒ガスが本格的に使われた戦争、第一次世界大戦が終わってまだ数年しかたっていなかった。
 しかし同時に、フリッツ・ハーバーは人類を飢餓から救ったという功績も持つ。

 フリッツ・ハーバーは1868年、ドイツのブレスラウ(現在はポーランド領)で生まれた。ドイツ系ユダヤ人であるが、フリッツ・ハーバーの中では、自分はドイツ人であるという強い愛国心があった。
 
 フリッツ・ハーバーの父は染物業の商人で、フリッツ・ハーバーが商人に向いてないことを見ぬき、学問の世界で生きていくことを言い渡したという。

 カールスルーエ工業大学のハンス・ブンテ教授に無給助手として採用してもらったのは、フリッツ・ハーバーが25歳の時であった。
 ここで炭化水素の研究に取り組み、『炭化水素の分解の実験的研究』の論文を発表する。
 
 従来の熱分解の解釈を変えるほどの独創的研究で、この論文が高く評価された結果、フリッツ・ハーバーは6年から8年かかる無給助手の期間を2年で済ませ、27歳で「私講師」(給料は与えられないが、講義を受ける学生から聴講料を取り、収入を得らえることが認められている)の地位を得る。
 
 この後も、フリッツ・ハーバーの昇進は決して順調とは言えず、1906年に物理・電気化学研究所所長の椅子を得て正教授に就任した時、彼は37歳になっていた。

 この少し前より、フリッツ・ハーバーはアンモニア化学合成に関心を向けていたという。

 1898年、イギリスのクルックスが、飢餓から人類を救う方法はひとつしかないとして『科学的肥料を生産する方法の発見』の提唱をうけ、大気中に存在する窒素と水素から、植物が利用できるアンモニアを化学合成する研究が進んだ。
 
 フリッツ・ハーバーもこの研究に取り組み、1909年3月22日にアンモニアの液化に成功する。
 そして総合化学メーカーBASFの天才技術者カール・ボッシュが工業化に取り組み、アンモニア製造工場が建設されて稼働を開始したのは1913年9月であった。
 このアンモニア合成法は「ハーバー・ボッシュのアンモニア合成法(ハーバー・ボッシュ法)」と呼ばれた。ハーバーは人類を飢餓から救ったひとり、とも言える。
 
 だがアンモニア合成から別の副産物も生まれた。火薬である。

 広く流布している有名な言い伝えとして、ハーバー、ボッシュがアンモニア合成に成功したとき、カイザー(ウィルヘルム二世)が、『これで戦争ができる』と言って、自信を深めたというのがある。
 
 なぜ戦争ができるかというと、アンモニアは合成肥料の原料であるだけでなく、火薬の原料でもあるからだ。
 代表的な火薬がニトログリセリンで[略]ニトログリセリンにしてもそのほかの火薬のピクリン酸、TNTにしても構造式の中に共通してニトロ基を持つ。[略]このニトロ基を供給するのが硝酸である。
 
 アンモニアは[略]白金の触媒を用いることによって硝酸に変えることができる。
 [略]ハーバー・ボッシュ法が完成し、アンモニアが生産されるようになったのが1913年9月。そしてサラエボ事件が起こってドイツが第一次世界大戦の火ぶたを切ったのが1914年8月。となるといかにもこの話はタイミングとしては辻褄が合っているようにきこえる。
 
 にもかかわらず、この「逸話」は、できすぎたつくり話である。

「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 宮田 親平:著より

参考・引用資料:
●「シーベルトとベクレル」 山崎岐男著
●「キュリー夫人伝」 エーヴ・キュリー著
●「キュリー夫人と娘たち」 クロディーヌ・モンテイユ:著
●「プルトニウム」 ジェレミー・バーンシュタイン著
12月1日 「ウラン」の発見者マルティン・クラプロート誕生(1743年)(ブルーバックス編集部) | ブルーバックス | 講談社 (gendai.media)
●エックス線物語 馬場祐治 著
●「核エネルギーの時代を拓いた10人の科学者たち」 馬場祐治 著
●「原子爆弾」 内山克哉 著
●「大気を変える錬金術」 トーマス・ヘイガー 著
●「毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者」 宮田 親平 著
放射線医学の歴史 (radiology-history.online)

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