1940年東京オリンピック開催に反対し、1964年東京オリンピック開催に尽力した政治家
こんにちは、はーぼです。
河野 一郎という政治家がいました。河野 太郎 行政改革担当大臣(他にもいろいろと担当されています)のおじいさんにあたる方です。
もともとは朝日新聞の記者でしたが、政治家になりました。
NHKの大河ドラマ『いだてん』では、桐谷健太さんが演じられておりますね。
阿部サダヲさんが演じる水泳・オリンピック大好きな主人公、田畑政治がともすれば、戦争にむかっていく時世を肌で感じながらも、受け入れることをどこか拒否しようとしているのに対し、河野一郎はそれを冷静に受け止め、新聞記者から政治家へと転身していく姿が大河ドラマでは描かれているように思えました。
そして河野一郎は1940年の東京オリンピック開催に反対する急先鋒となります。河野一郎自伝からその当時のことを書いた部分を引用します。
元来、私はさきに述べた通り、日本陸上競技連盟の創始者であり、日本のスポーツ界でも相当な有力者であったが、このときばかりは真向から反対した。
当時の私の考え方の基本、政治のあり方に対する態度は、現在もむろん根本的に変わりはないが、国民が祭りを楽しむなら、全国民がこぞって神輿を担ぎましょう、逆に臥薪嘗胆なら臥薪嘗胆で結構、お祭りは一切やめて、みなで力を出し合おうじゃないか、これが政治というものであると信じていた。
したがって、一部の政治家や国民がオリンピック誘致でうつつを抜かしているとき、万歳の声を背中に聞きながら中国へ多くの青年が出征していく。
これでは政治のロジックが合わない。こんな政治は絶対反対である。
とにかく非常時の際であるし、オリンピックはやめるべきだ。(略)
ところが、私は議会でオリンピック反対の演説をしたために、完全に日本のスポーツ界からボイコットを受ける羽目に陥った。
「ああいうばかげた演説をぶつ河野はけしからん」というわけである。
その結果、スポーツ界のあらゆる役職を追われてしまった。
今日の視点からみれば、オリンピック中止ではなく戦争中止を訴えてほしいというのが正直なところですが、一政治家の声など握りつぶされてしまう時代だったのでしょうね。
そして河野一郎が開催に反対しようが賛成しょうが関係なく、1940年の東京オリンピック開催の返上は、1938年7月15日の閣議で一方的に決まります。東京市長や組織委員会などには事前の連絡もなく、オリンピック関係者たちは政府声明を読み上げる記者会見を唖然と見るほかありませんでした。
そしてそれから26年後、1964年。東京オリンピックが開催されますが
時の総理大臣池田隼人のもと、河野一郎は建設大臣、五輪担当相を歴任し、辣腕をふるいます。
残念なことに、河野一郎自伝には1964年東京オリンピックのことが書かれていません。河野一郎が1965年7月8日に亡くなったためです。
今年、東京オリンピックが開催されるのか、どうなるのか、ボクにはまったくわかりません。
ただ、オリンピックがお祭りであるのなら、その経済効果や国家のメンツはすべて抜きにして、世界中の多くの人が楽しめる大会であってほしい、将来に悔いの残る大会にはならないでほしいと願う、それだけです。