【歴史のすみっこ話】漢字、危機一髪3~大正時代の常用漢字~[1185文字]
戦前の教育制度等、知らないことばかりなので、書籍などを読むとへぇーとなることが多いです。
例えば、男女共学が基本的には無かったことも😮。
尋常小学校とは今でいう所の小学校にあたります。
(明治40年からは、修業年限がそれまでの4年間から6年間になります)
さて本題ですが──。
1919年(大正8年)の7月。
文部省から、尋常小学校の各種教科書で使用している2600余字の漢字について、「漢字整理案」が発表されました。
これは、まず字形を統一しようという意図によるものでした。
活字の漢字の形と手書きの漢字の形とで、乖離が目立ってきた為、統一を図るということらしいです。
続いて、1923年(大正12年)の5月9日。
政府の機関である臨時国語調査会(初代会長は森鴎外、大正11年7月9日に死去)から、1963字種からなる「常用漢字表」が発表されます。
(現在の「常用漢字」と同じ名称ですが、内容は異なります)
字種とは、同じ音訓・意味を持つが字体が異なる漢字のグループのことです。
例えば、「島」と「嶋」は、字体は異なりますが、同じ字種グループに属します。
ここで注目すべきは、以下の凡例文です。
つまり使用できる漢字の制限を、日本政府が初めて公式に行ったということです。
(昔からある地名や人名などは、『固有名詞には本表にない文字を用いても差し支えない』と、一定の配慮がされています)
もっとも、本表にない漢字は仮名で書くといいながらも、別の漢字による言い換えの例を載せています。
例:『不遜(ふそん)』の「遜」の漢字が表に無いので、『無礼(ぶれい)』と言い換える。
もっとも、その実施予定日、大正12年9月1日に関東大震災という想定外の出来事が起こったため、関東地域では新聞編集が出来ない状態になったのですが💦。
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