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小説・Bakumatsu negotiators=和親条約編=(9)~確執その2~(2048文字)

1853年7月22日。再び老中首座阿部正弘あべ まさひろ徳川 斉昭とくがわ なりあきの海防参与登用を提案します。

阿部様はなに故、それほどまでに斉昭公に執着なされるのかー。
老中松平忠固まつだいら ただかたは内心、嘆息をしました。
阿部正弘あべ まさひろ徳川 斉昭とくがわ なりあきの海防に関する見識の高さを評価していることはわかっています。
しかしー。それは過大評価ではないのかと思わずにいられませんでした。

おおよそ、人の評価ほど、むつかしいものはありません。
名君といわれた薩摩の島津 斉彬しまづ なりあきらですら、後に起きる将軍継嗣問題では、一橋慶喜ひとつばし よしのぶを次期将軍に推していましたが、果たして慶喜よしのぶ徳川幕府の将軍としてふさわしい人物であったかといえばー。
その評価は今でも大きく分かれるのではないでしょうか。

松平忠固まつだいら ただかたは、信濃上田藩の藩主です。
初代上田藩の藩主、真田信之から数えれば10代目ですが、藤井松平家としては第6代目の藩主となります。
島津斉彬のような蘭癖(西洋に対して好奇心旺盛な)大名だったかはわかりませんが、家臣を西洋砲術家の高島秋帆たかしましゅうはんに学ばせるなど、開明的な人物であったようです。

そして、言うべきことは言う性格であったため、蛮社の獄の際には蘭学者を弾圧する、老中・水野忠邦の批判を行ったため、寺社奉行を罷免されるという憂き目にもあっています。

いつかは国を開かねばならないー。松平忠固まつだいら ただかたはそう思っていました。
問題は、阿片戦争のように清国の二の舞を踏むことなく、いかにこの国にとって有利な条件で国を開くかー。
そう考えている松平忠固まつだいら ただかたにとって、攘夷を唱える斉昭公の海防参与登用は受け入れられるものではありませんでした。

明治になって、徳川 斉昭とくがわ なりあきの息子である慶喜よしのぶが、家臣であった渋沢栄一に、『烈公(斉昭)の攘夷論は本心にあらず』と言い、水戸藩の藩政改革を行うための口実にすぎなかったものが、後に目的となり、攘夷論の急先鋒になってしまったというような意味のことを言っています。

これが事実を語っているかはわかりません。
確かに徳川 斉昭とくがわ なりあきは海防において西洋列強の技術を知る必要性を認めており、見境いのない攘夷論者ではありませんでした。
しかし、一時の口実であっても民に対して二枚舌を使い、本心と異なるメッセージを発して鼓舞させ、果てには制御不能となり、あらぬ方向へと暴走させる事態に陥ってしまっては、問題ではないのでしょうか。

老中首座阿部正弘あべ まさひろ徳川 斉昭とくがわ なりあきを海防参与に登用したいとの再提案に対し、老中・久世広周くぜ ひろちかが賛成の意を表し、松平忠固まつだいら ただかたは反対を表明します。

「伊賀守(松平忠固まつだいら ただかた)殿は、斉昭公にご不満がおありのようだが、もし問題が起きる様であれば、それがしが切腹し責任を取らせていただこう」
 
久世広周くぜ ひろちか松平忠固まつだいら ただかたに詰め寄らんばかりの勢いでそう言いました。
久世広周くぜ ひろちかは、後に老中・安藤信正あんどう のぶまさと公武合体策を推進し、皇女和宮かずのみや降嫁を実現させます)

来春、ペリー再び来航のおり、斉昭公が独断で戦いの火蓋を切っておとした場合、江戸の町は灰燼に帰す恐れがあり、そのようなことになった場合、我等老中が皆ことごとく腹を切っても収まることではないー。 
そう思うものの、さすがにそこまでは口に出せず、皆が同意するのであればやむなしと松平忠固まつだいら ただかたも、しかたなく賛意を示し、評議が決しかけたところに御用人の本郷泰固と平岡道弘が、病に伏せている将軍徳川 家慶とくがわ いえよしの意向を伝えに来ました。

「上様は如何に仰せであったか?」
老中首座阿部正弘あべ まさひろの問いに、斉昭様の海防参与登用を伝えたところ、自分は必要とされていないと思われたのか落胆されておられました、と両名は答えます。

将軍徳川 家慶とくがわ いえよし徳川 斉昭とくがわ なりあきの海防参与登用には賛意を示していないー。
この知らせは、決まりかけた評議の結果をひっくり返すものでした。

これは松平忠固まつだいら ただかたと御用人の両名が裏でつながっていて、打った芝居ではのではないのか?
疑念を持った老中首座阿部正弘あべ まさひろは、すぐさま真意を確かめるべく、将軍徳川 家慶とくがわ いえよしに拝謁をしようと席をたつのでした。


■参考資料
 ◆開国と条約締結 (日本歴史叢書) 
 
 麓 慎一 (著), 日本歴史学会 (編集)

 ◆日本を開国させた男、松平忠固
  関 良基 (著)

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