[いだてん噺]エテボリー(1337文字)

  八月四日 七時過ぎ汽車はいよいよ目的のエテボリーに着いた。
 待ちに待ったこの地‥‥七月八日、国を出てから一ヶ月の長い旅も終えて恙なく到着したことを神様に感謝した。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)

 絹枝の自伝にはそう書かれている。7月8日から一ヶ月近くをかけて8月4日、絹枝はようやくスウェーデン第二の都市、エテボリーに着いたのだった。

 昨日、スウェーデンの首都ストックホルムで、日本公使館の者から、『日本の東京がこのストックホルムだとすれば、明日あなた達の行くエテボリーは大阪のような工場市です』と絹枝は聞かされていた。

 だが、エテボリーの町に足を踏み入れてみると、『大阪のように煙は空を巻いてはいない。タクシーがあぶない程行き来していない』と予想は裏切られたものの、静かな落ち着いた町を早速気に入ったと絹枝は自伝に記している。

 日本公使館が手配してくれた宿舎のグランドホテルに入った絹枝は、今までの緊張がほぐれたためか、感じたことのない疲労に襲われたのだった。

 ホテルの女給はベルを押す毎に部屋に来てくれるが、スウェーデン語以外は何語も話さない。
 このかたが分かっても分からなくてもペラペラ言うので、なにくそと思って日本語で話してみようとするが、それさえ出来ない。
 (黒田乙吉)マネージャーがニ十分も部屋にいない時は、二つ三つは困ることが出来る。
 も少し英語でも十分勉強してくればよかったと後悔する。
 疲労が出て来て体が痛むような気がする。
 久々にベッドに入り、五尺五寸七分(1メートル六十八)の体を伸ばして午睡をとる。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 自伝にはこのように記されている。疲労がピークに達していたのだろう。

 一方その頃、絹枝のマネージャー的立場である黒田乙吉は、スウェーデン語の通訳を探していた。
 幸いなことに、グランドホテルのレストランには、マルチソンというロシア生まれのボーイ長がおり、「ヤポンスカ(日本人)の通訳とは光栄の至りだ」と気持ちよく引き受けてもらえた。

 マルチソンはこの日から、スウェーデン語の通訳として働くことになる。

 大会委員会が、『午後3時にスタジアムまで来てくれ、そこでお目にかかるから』と言ってきたので、マルチソンが用意した自動車に乗り、絹枝と黒田乙吉、マルチソンの3名は、3週間後に開催される第2回世界女子競技 エテボリー大会の会場であるスロットスコクス競技場へ出かけたのだった。

 (敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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