「光る君へ」への長い道のり ~まひろと藤原宣孝の血縁関係~[1635文字]

『光る君へ』第1話で登場した藤原宣孝(のぶたか)[演者:佐々木蔵之介]。NHKのホームページの相関図では『まひろの親戚』となっています。

また人物紹介では『まひろ(紫式部)の父・藤原為時[演者:岸谷五朗]とは職場の同僚で同年配の友人どうし。世知にたけ、鷹揚(おうよう)な性格の男性。まひろのことは幼いころから知っており、よい話し相手となって温かく見守る。』と書かれています。

大河ドラマの中では、親戚であり、まひろの父為時の友人という設定ですが、史実ではどうなっているのでしょうか。

時代考証担当の倉本一宏氏は、為時と宣孝のつながりは花山天皇の即位後あたりから始まったとしています。

(火山天皇即位後)十月十七日には、左衛門尉(さえもんのじょう)の藤原同じく六位蔵人に補されている(『小右記』)。
為時と[略]宣孝の直接的な接点は、このあたりから始まっているのであった。

『紫式部と藤原道長』 著:倉本一宏

大河ドラマでは昔からつながりがあったものとされていて、生真面目すぎる為時と、目端の利く陽気なキャラの宣孝といった正反対の組み合わせが、見事ですね😃。

ところで、まひろと宣孝は親戚、と相関図に書かれています。
ではどんな血縁関係なのでしょうか。ざっくりと見ていこうと思います。


■まひろの父は藤原為時(ためとき)。
 為時の父(まひろの祖父)は藤原雅正(まさただ)。
 雅正の父(まひろの曾祖父)は藤原兼輔(かねすけ)。

宣孝の父は藤原為輔(ためすけ)。
 為輔の父は(宣孝の祖父)は藤原朝頼(あさより)。
 朝頼の父(宣孝の曾祖父)は藤原定方(さだかた)。

まだ繋がってない・・・。

曾祖父まで遡っても繋がりは出てきません。
さらに、さかのぼっていきましょう。

■まひろの父は、藤原為時(ためとき)。
 為時の父(まひろの祖父)は、藤原雅正(まさただ)。
 雅正の父(まひろの曾祖父)は、藤原兼輔(かねすけ)。
  +
 兼輔の父(まひろの高祖父)は、藤原利基(としもと)。
 利基の父(まひろの高祖父の父)は、藤原良門(よしかど)。 

宣孝の父は、藤原為輔(ためすけ)。
 為輔の父は(宣孝の祖父)は、藤原朝頼(あさより)。
 朝頼の父(宣孝の曾祖父)は、藤原定方(さだかた)。
  +
 定方の父(宣孝の高祖父)は、藤原高藤(たかふじ)。
 高藤の父(宣孝の高祖父の父)は、藤原良門(よしかど)。


はーい、つながりました~~ヽ(*゚∀゚*)ノ~~!。

ようやくつながりました。

まひろと宣孝は、「またいとこ」と書かれている本があります。
「またいとこ」ってここまで離れていましたっけ?🤔。

ちなみに、まひろと宣孝から見て高祖父の父になる藤原良門(よしかど)から4代さかのぼれば、藤原氏の祖となる、藤原(中臣)鎌足までたどり着きます。

まひろも宣孝、そして藤原道長も、藤原房前(ふささき)から始まる「藤原北家」になります。

但し、嫡流(本家の血筋)は、略図には書いてませんが、冬嗣(ふゆつぐ)の子、藤原良房(よしふさ)から始まり、藤原道長へと続く流れです。

藤原冬嗣(ふゆつぐ)の庶子にあたる藤原良門(よしかど)から始まる、まひろや宣孝の流れは傍流になるようです。

大河ドラマでは、まひろの父、為時が除目(じもく=大臣を除く諸官職を任命する宮中の会議)で官職を得るために、自分を売り込むための申し文に『祖父が中納言まで登った名門であるにもかかわらず不遇の身です』と書きましたが、この祖父とは、三十六歌のひとり、「堤中納言」とも呼ばれた藤原兼輔(かねすけ)です。

中納言にまで登ったのですが、その後が続きませんでした。
名門と言い切っていいのかどうかわかりませんが、円融天皇を怒らせてしまうあたり、為時は自己PRというかプレゼンがあまり上手くないですね😅。

『まあ、藤原北家でも、嫡流を少しでも外れると、このくらいの地位の低下は、一般的なことであった』と時代考証担当の倉橋一宏氏は述べられています。血筋が重要視される貴族社会はきびしいなぁ🤔。



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