小説・Bakumatsu negotiators=和親条約編=(1)~前哨戦回想~(2565文字)
※ご注意※
『西暦で見た幕末・維新』で極力、会話文を極力なくし歴史的事実のみを列挙して日本が祖法である鎖国を放棄し開国に至るまでを、徳川幕府関係者を中心に書いて行こうとしましたが、その手法を取ると参考資料からの引用が多くなり、本文よりも引用文が主体になっているという、本末転倒な状況が発生するといった問題がでてきました。
そこで、『西暦で見た幕末・維新』は25回の区切り?で終了し、資料からの歴史的事実のみの列挙方式を終え、今後は想像・妄想の産物である会話文も交え、歴史的事実をベースとして創作も交えた、小説みたいな形式で、『小説・Bakumatsu negotiators=和親条約編=』として、続けさせていただくことにしました。
すべてが評伝や研究資料からの引用ではありません。(引用時は明記します)
ボクの主観による創作めいたものが混じっていることを、あらかじめご了承ください。
エフィーム・ヴァシーリエヴィチ・プチャーチン、といういささか発音しずらい名前の帝政ロシアの貴族は、海軍軍人を父にもち、1803年に生を受けました。
父親だけでなく親族の多くに海軍関係者がおり、海軍軍人になるべくして、この世に生をうけた男、と言うのは少し言いすぎかもしれませんが、本人が自らの意志で海軍軍人の道を選ぶ必然性のある環境で育ったと言えるのではないでしょうか。
先に日本に来航したペリーのような野心家ではなく、帝政ロシアに忠実な人物で、軍人として勇敢で冒険心に富むが、決して粗野ではなく、貴族としてのふるまい方も身に着けていることが日本との交渉の過程で伺えます。
そして、ただ貴族というだけの理由で、現在の地位を得たわけでないことは、Wikiに記述されている経歴からも想像できますが、なによりも忍耐強さという交渉人(negotiator)に必要不可欠な資質を持っていたことは、徳川幕府にとって、幸運であったかどうかーは、今後次第といったところでしょうか。
ただ、下級武士の家に生まれながらも己の能力ひとつで、奈良奉行、大坂町奉行を歴任した川路 聖謨、長崎奉行を務めたのち、20年余りの長期にわたり南町奉行の職にあり続けた筒井 政憲という、徳川幕府老中首座阿部正弘の信任厚い二人にとっても、プチャーチンは、初めて相対するタフネゴシエーター(手ごわい交渉相手)と言えるのかも知れません。
「あの老人、大したものだな」
3回目の会談を目前に控えたプチャーチンは、自らの秘書官にして作家でもあるゴンチャローフに話しかけます。
「筒井 備前守様のことですか」
作家だけあってゴンチャローフは、他人の顔と名前を覚えるのが得意なのでしょうか。すらすらと名と官位を言います。
「そうだ、ゴンチャローフ。その筒井・・・なにがしだ。最初の会談で会食を終えたあと、わたしがさっそく交渉に入ろうと提案したら、あの老人、何をしたか覚えているかね」
「たしか・・・懐から紙を取り出し、一番上の紙をゆーっくりと持ち上げ、おもむろに鼻をかみ、そしてその紙をたもとに、これまたゆーっくりと入れなおすと、『わたしどもの国のしきたりで、初対面のときには、重要な話はしないことになっております』とかいうようなことを申しましたか」
「そこまで詳しく言わんでもいい。とにかく、おかげでこちらの出鼻が完全にくじかれた。しきたりと言われては、従うしかない。それが本当かどうか、こちらに知るすべがないことを逆手にとったのならば、大した老人だ。尊敬に値する」
「案外、本当にしきたりなのかも知れませんよ、提督」
「それを確かめる術はない。長崎奉行所の者たちに聞いたところで口裏合わせをしてるだろうしな。・・・そういえば、パラルダ号で開催された返礼の会談は日本からの人数が少なかったようだが、なぜか知ってるかね?」
「どうも警戒されたようです」
「警戒・・・?何にかね?」
「我々がパラルダ号に乗り込んできた日本人を捕縛して、そのままロシアに連れて帰るつもりではないかという噂がながれたようです」
なんだそれは、という顔をプチャーチンはします。
「我々が、日本人は上司と部下を同じテーブルに着かせてなならない、箸を用意しないといけない等の気を使って会食の用意をしていたときに、そんなことを疑っていたとは・・・。我々が皇帝の顔に泥を塗るような無法なことをすると思っているのか?」
「一部の者だけでしょう。提督自らが、高齢の筒井 備前守様の手を取ってお迎えした際、提督と自分では位が違いすぎるのでと恐縮された筒井 備前守様に対して、『階級は各国の君主から授けられるものですが、命は天から授けられるものです。(略)尊卑はありません。またあなたの年齢は、私の父のそれと変わりありません。それゆえ、私があなたの手を取るのは、子が父につかえて孝行することと同じことなのです。人が与えた階級に気をとられて、天に仕えることを疎かにしてはいけません』(「川路聖謨とプチャーチン」より引用)と答えた提督に、周りのかの国の者たちは感じ入っておりました」
「当然のことをしたまでだ。さて明日の会談で、こちらの要求に対して、彼ら全権団がどう出てくるかだ。再び陸に上がるが、礼砲はもう発射しないでくれと頼まれたのはつまらんな」
「また会食がありますでしょうか、提督」
最初の会食でなにかゴンチャローフの気に入ったものがあったのだろうか、とプチャーチンは考えました。
野菜の根が入った黒いスープ、エビのサラダ、焼き魚、牡蠣の煮つけ、大根の塩漬け、人参の煮物、煮た野菜と鴨の手羽先が入った熱湯、ご飯・・・材料がよくわからないものも何品かあったが、なにがゴンチャローフのお気にめしたのだろうか。
「なにか美味しいものでもあったのかね?それなら長崎奉行所に言って多めに用意ができると思うが」
「いえ、パンのない会食はどうも味気が無くて。あと、箸を使って食べようと努力しているのがおかしいのか、彼らに面白そうに笑われるのがとても嫌です」
「スプーンとフォークを用意してくれているのだから、それを使いたまえ、ゴンチャローフ」
(続く)
■引用・参考文献
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