【三寸の舌の有らん限り】[19]-ウラジオストク艦隊-(1495文字)

  明治37年(1904年)2月10日に、日露両国は宣戦布告を行なっている。
 [既に戦闘が両国間で行われているが、日露戦争は開戦前に宣戦布告を義務付けた『開戦に関する条約』が結ばれた1907年以前のことである]

 にもかかわらず、ロシアは『日本はニ月十〇日に至り始めて宣戦を布告したが、八日以来ロシアの軍艦、商船に対し不意打ちの打撃を加え、国際法上の原則に違反せる行動をあえてした』と抗議を行った。

 もちろん、ロシアのこの主張は、日本の通告が国交断絶のみならず、「自衛の為め其の採るべき手段」「独立の行動を採ることの権利」、つまり武力行使の通告を無視した宣伝にすぎないとして、当時の多くの列国の受け入れるところとはならなかった。 

「世界史としての日露戦争」   著:大江志乃夫

  日本と同盟を結んでいるイギリスのタイムズ紙は、『今回の戦争の主原因は、ロシアが清国との満洲撤兵条約に違反して不等な満洲占領を継続していることにあり、そのロシアがこのような主張をできる立場にない』(「世界史の中の日露戦争」より)と切り捨てるように断じている。

 宣戦布告翌日の明治37年(1904年)2月11日、宮中に大本営が設置された。
 当初は2月5日に設置を行うつもりであったが、寺内陸軍大臣が、宣戦布告前の設置に反対したため、2月11日となった。

 2月9日。
 ロシア太平洋艦隊の支隊である、ウラジオストク艦隊は、日本海軍による旅順軍港奇襲の知らせを受け、ウラジオストク港から津軽海峡に向けて巡洋艦4隻を出港させた。
 朝鮮半島と日本との間の海上交通に打撃を与えるためである。

 2月11日ー。
 ウラジオストク艦隊4隻は、2月10日に酒田港を出港した商船『奈古浦丸』(なこのうらまる)および商船『全勝丸』を襲う。
 『奈古浦丸』は撃沈され、『全勝丸』は視界が良くなかったことが幸いし、北海道福島港へと逃げ切った。

 『全勝丸』乗員からもたらされたロシア戦艦砲撃の知らせに、北海道・青森県の住民は恐怖に陥った。
 
 『函館ではロシア艦隊来襲の噂(うわさ)で住民がパニック状態となり、数日にわたり青森-函館間の船舶の航行は停止。小樽では銀行の取り付け騒ぎまで起こったという』(陸奥新報より)

 その後もウラジオストク艦隊は、各地で輸送船などに攻撃を行い続けた。

 このウラジオストク艦隊の撃滅ならびに対馬海峡以東の日本海全域の警戒の任に当たったのが、上村彦之丞率いる第二艦隊であった。


■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」    著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」           著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」          著:和田 春樹
●「日清・日露戦争における政策と戦略」      著:平野龍二
●「世界史としての日露戦争」           著:大江志乃夫
●「世界史の中の日露戦争」            著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」  著:長南 政義
●「児玉源太郎」                 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」            著:岡崎 久彦
●「高橋是清自伝(下)」             著:高橋 是清
●「日露戦争、資金調達の戦い」          著:板谷敏彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」         著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」                編:トク・ベルツ
● 陸奥新報 日露戦争 恐怖身近に


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