[歴史のすみっこ話]グルーの日記から

 ジョセフ・C・グルーというアメリカの政治家をご存知でしょうか。
 
 アメリカ合衆国有数の知日派の政治家で、1932年(昭和7年)に在日特命全権大使として、日本に赴任します。
 太平洋戦争が勃発した翌年の1942年(昭和17年)5月に日本を去るまでの10年間の日記は、『滞日十年』として出版されています。

 ところで、この『滞日十年』の1941年(昭和16年)1月27日に、興味深い記述があります。

 1941年1月27日
 東京では日本が米国と断交する場合、大挙して真珠湾を奇襲攻撃する計画を立てているという意味の噂が、さかんに行われている。
 私がこれを米国政府に報告したことは勿論である。

滞日十年』 ジョセフ・C・グルー:著 

 日本軍による真珠湾攻撃が行われるのは、この年1941年(昭和16年)の12月8日、83年前の今日です。

 真珠湾攻撃の約1年も前に、『東京の街で、アメリカと断交したら日本は真珠湾を攻撃するだろうという噂が流れていた』ことになります。

 国家の超重要機密情報が、あろうことか市井の人々が口にするうわさ話になっていた?🤔。

 しかし、これはまずあり得ないことでした。
 何故なら、グルーが日記に書いた1941年1月27日時点で、まだ真珠湾奇襲攻撃を行うと決定されていなかったからです。

 この当時、山本五十六の真珠湾奇襲攻撃の構想を知っていたのは、『連合艦隊のごく限られた幕僚と大西(=大西瀧治郎中将)だけであり』、更に加えるならば、真珠湾奇襲攻撃の作戦構想を受け取った及川海軍大臣のひとりだけです。

 なので、この噂は、真珠湾奇襲攻撃作戦の構想が漏れてしまったことによるものではないと思います。

では、なぜ噂が?🤔。答えははっきりとわかりません。

 ですが、日露戦争後、急速に悪化していく日米関係を、肌で感じた当時の作家たちが著した、架空の戦記小説、日米戦争モノが素地になって、こうした噂が生まれた、という可能性もあるのではと思います🤔。

 ネットで見られる上田信道氏の論文によると、作家の宮崎一雨が1926年(大正15年/昭和元年)1月から12月まで雑誌「少年世界」に連載した『日米大決戦』には、『作品中には、日本の潜水艦によるパールハーバーへの奇襲、緒戦における日本陸軍のグアム・フィリピンの占領、米空母による日本本土への奇襲や米空軍による本格的な本土空襲など、未来を先取りする内容』があり、上田信道氏は『日本の潜水艦によるパールハーバーへの奇襲、緒戦における日本陸軍のグアム・フィリピンの占領、米空母による日本本土への奇襲や米空軍による本格的な本土空襲など、未来を先取りする内容が見られた。』と評しています。

 パールハーバー(真珠湾)への奇襲が、少年向けとはいえ1926年(大正15年/昭和元年)時点で既に描かれていることから、1945年(昭和16年)までの期間を考えれば、他の作家の架空戦記小説でも、日本軍による真珠湾攻撃に触れた作品があるのではないかと思います。

 確証はありませんが、真珠湾攻撃の噂の素地は、情報漏洩よりも、それ以前に発表された架空戦記小説群にあった可能性も捨てきれないと思うのです🤔。

🔲参考・引用資料
阿武天風の軍事冒険小説 上田信道:著

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