[いだてん噺]世界新記録(1209文字)

 二階堂トクヨからの快諾を得て、第3回岡山県女子体育大会に出場するため、喜び勇んで帰省する絹枝だったが、玄関を開けたとたんに線香のにおいが鼻をついた。

 何事があるのだとう、変だなと思って、納屋の方へ廻ると、そこには一家の者が集まっています。
 嬉しやち跳び入ろうとしますと、真っ先に姉が「まあ絹枝さんが‥‥‥、おばあさんが死んでしまったのよ」と言う姉は、もう泣いています。

 何が何だか、姉に抱きしめられたまま、訳がわかりません。父母に連れられて仏間に入ってみると、祖母はもう、遺骨となって、仏壇に安置されているではありませんか。

 二十日見ぬ間に、あの元気な祖母が、こんな姿になろうとは、用意に信じられませんでした。
 祖母は私のいる東京の方を向いて死んだと言う人もあり、また、いや身延様を向いて死んだと言う人もありました。[略]

 私は仏になった祖母の前に、一時間もさめざめ泣いてしまいました。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著


 1924年(大正13年)10月5日。第3回岡山県女子体育大会が、岡山女子師範学校で開催された。

 当日、絹枝の父母だけでなく、姉も義兄も応援に来てくれたという。
 この大会にて絹枝はホ・ス・ジャンプ(三段跳び)で、10m33の記録を出す。当時の世界記録がアメリカのスタイン選手の持つ10m323であった。
 絹枝にとって、初めての世界新記録であった。

 世界新記録をだしたことで、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞はもとより、山陽新報等の地元岡山の新聞にも絹枝の名前が大きく掲載された。家族の喜びもひとしおであった。

『セカイキロク ヲ ヤブリマシタ』(世界記録を破りました)

 トクヨ宛てに電報を打った絹枝だが、『体を大切にせいよ』と家族に見送られて、10月9日に二階堂体操塾に帰ったときには、トクヨから叱られはしないかと思っていたという。

 叱られはせぬかとオズオズしながら、先生の前に出ると、先生は私の体をしっかり抱いて、「ようこそようこそ上出来でした‥‥‥。しかし、祖母さんはお気の毒でしたね」と心からの喜びと同情を寄せてくれました。
[略]
 毎日の勉強にも、それからの私は私のために死んでくれた祖母の霊に対して、真面目な上にも真面目に努め励みました。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

(敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 著:三澤光男

●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

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