【三寸の舌の有らん限り】[15]-旅順軍港奇襲作戦-(1511文字)
圧倒的戦力で仁川港の制圧に成功した日本海軍だが、それ以上に重要であったのは、黄海の制海権を握ることであった。
満洲の野においてロシアと雌雄を決する、陸戦で決着をつけることが日本の戦争方針であった。
朝鮮半島・遼陽半島に兵站基地を確保し、満洲の地へ輸送・補給を円滑に行うためには、黄海の制海権を確保する必要があった。
制海権を握るためには、旅順軍港に停泊しているロシア太平洋艦隊主力(=旅順艦隊)のすべてをせん滅しなくてはならない。
東郷平八郎大将率いる連合艦隊の作戦は、まず旅順艦隊に攻撃を仕掛け、報復のために旅順軍港から出撃した旅順艦隊と艦隊決戦を行い、せん滅させる、というものであった。
この時、ロシア極東総督アレクセーエフと太平洋艦隊艦隊司令長官スタルク中将らには、日本からの国交断絶の通告があったことが知らされていた。
2月8日の午後6時。旅順軍港から東方にある洋上に、連合艦隊主力が到着する。
連合艦隊司令長官、東郷平八郎大将は、駆逐艦による旅順軍港夜間奇襲作戦の開始を命じた。
11隻の駆逐艦は旅順軍港を目指す。
2月8日の午後11時ー。11隻の駆逐艦は旅順軍港に突入し、停泊している旅順艦隊に向けて魚雷を発射する。
その際に、駆逐艦「雷(いかづち)」と「朧(おぼろ)」が衝突し、陣形が混乱したが、各艦は魚雷を発射し、旅順軍港からの脱出を果たす。
この夜間奇襲により、戦艦レトヴィザン・ツェザレヴィチ、巡洋艦バルラダに魚雷を命中させて、大破させるものの、修理可能な損傷であったとされる。
奇襲作戦の成果は意外と少なかった。
翌2月9日ー。
連合艦隊は、第三戦隊による偵察を行った後に、第一戦隊(戦艦6隻)・第二戦隊(装甲巡洋艦5隻)・第三戦隊(巡洋艦三隻)で旅順港口に近づき、昼頃より港内に砲撃を開始した。
港内に停泊している旅順艦隊を攻撃し、旅順軍港から誘い出すためのものであった。
旅順艦隊側も、反撃を開始した。
だが、陸上砲台や停泊している旅順艦隊の砲撃による反撃はあるものの、旅順艦隊が港外に出ることはなかった。
ロシア極東総督アレクセーエフ、太平洋艦隊艦隊司令長官スタルク中将は、戦力的には現状互角または日本側がやや優勢であることから、ロシア本国からバルト海艦隊の増援が得られるまで、戦力を温存させる方針であった。
砲撃戦は11時55分から12時35分まで続いたが、連合艦隊側もかなりの被弾をうけた為、攻撃を中止し仁川港外へと退いた。
旅順艦隊を旅順軍港外へと誘い出し、艦隊決戦を行うとした日本海軍の目論見は不発に終わった。
連合艦隊は、陸上砲台による艦隊の被害を恐れ、旅順湾口の閉塞を行い、旅順艦隊を港内に封鎖させる作戦へと方針を切り替えるのだった。
(続く)
■引用・参考資料■
●「金子堅太郎: 槍を立てて登城する人物になる」 著:松村 正義
●「日露戦争と金子堅太郎 広報外交の研究」 著:松村 正義
●「日露戦争・日米外交秘録」 著:金子 堅太郎
●「日露戦争 起源と開戦 下」 著:和田 春樹
●「日清・日露戦争における政策と戦略」 著:平野龍二
●「世界史の中の日露戦争」 著:山田 朗
●「新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説」 著:長南 政義
●「児玉源太郎」 著:長南 政義
●「小村寿太郎とその時代」 著:岡崎 久彦
●「明石工作: 謀略の日露戦争」 著:稲葉 千晴
●「ベルツの日記」 編:トク・ベルツ