[歴史のすみっこ話]いまさらですが文化の日、その3(1653文字)

 11月3日を憲法記念日にすることはできないと言う、民間情報教育局ホウジェ課長は、その理由を参議院『文化委員会』委員長でもある山本勇三氏(作家:山本有三)に語りました。
 
 ぶっちゃけあちらこちらから言われてこっちも大変なのよ、と内情を明かされた山本勇三氏(作家:山本有三)も、さすがにいったんは退かざるをえませんでした。

 「では、相談したうえで」と言って、その日は帰りました。

 山本勇三氏と民間情報教育局との交渉は、参議院の常任委員会専門員である岩村忍氏(1948年より京大教授)の努力があったからなのですが、そのこともあって、山本勇三氏は、岩村忍氏にだけ相談したのでした。

 そして後日ー。
 再び、山本勇三氏は民間情報教育局のホウジェ課長と面談します。

 「打ち明け話を伺った以上、憲法記念日は5月3日にします」

 山本勇三氏は、主張を引っ込めました。しかしー、と続けて言いました。

 「しかし、この際、ひとつだけ、あなたに思い出していただきたいことがある。アメリカの独立記念日は、独立宣言した日であるか、独立を完了した日であるか

 「それはもちろん、宣言した日である」と、ホウジェ課長は答えます。

 なるほど。そう来ましたか _φ(◉_◉へ)。

 山本勇三氏は言いました。

 「われわれが十一月三日に固執しているのは、これが新憲法公布の日だからである。マクマホンボール氏の意見は難癖に過ぎない。
 この記念すべき日を祝日から除いてしまったら、今後、新憲法はどうなるか。我々は新しい憲法によって、新しい日本を作りあげてゆきたいのである。この日が消えてしまったら、国民は新憲法に熱意を失うと思うが、あなたはどう考えますか。
 われわれは、なんか、ほかの名まえにしてでも、この日だけは残したいのです」

 言われたホウジェ課長は、しばらく考えたのちー。

 「では、なんという名まえにするのか」と聞いてきました。

 しかし、山本勇三氏は具体的な名前案を考えていませんでした。

 なんとか11月3日を生かしたいという気持ちで、精いっぱいだったようです。

 話し合いの結果、ホウジェ課長は、都合によっては考えてもいいと言ってくれました。

 おお、GHQ 民間情報教育局を相手に押し通しましたか _φ(◉_◉へ)。

 「だが復古的なにおいのするものは、絶対に許可しない」
 
 ホウジェ課長は釘をさすことを忘れません。

 さっそく山本勇三氏は、岩村忍氏と、なにかいい名前はないかと頭をひねります。しかし、急には名案など浮かびません。

 その時、「文化の日」という暗示を与えてくれたのは、当時、衆議院の法制局長であった、入江俊郎氏(現最高裁判所判事、当時)であった。
 
 新憲法は戦争放棄というような、世界に類例のない条文を持った憲法である。こんな文化的な憲法はない。
 これなら、復古思想と言われることはないだろう。

 そこで、この案を持って、先方に行ったところ、よく考えてみようということであった。
 数日後、呼び出しがあったので、行ってみると、「あなたがたの熱意を買って、許可することにしましょう」と言ってくれた。
 
 これでやっと十一月三日は残ったのである。
 こういういきさつであるから、その名称がぴったりしないのは、やむを得ない。
 [略]
 私は、このことをもっと早く書くべきであったかもしれない。
 
 しかしホウジェ氏から、委員会にも報告しないでくれと言われたことなので、ひかえていたのである。
 
 しかし、十年以上たった今日でも、まだ、この日がわからないと言われると、このことを公表すべきであると思って、筆をとったしだいである。
 
(文化の日の夜)

「文化の日」がきまるまで 著:山本有三 

 こうして、新憲法公布の日である11月3日は「文化の日」という名前で、国民の祝日(「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」)として、今も続いているのですね _φ(◉_◉へ)。

(完)


 ■参考・引用資料
  〇口語化憲法草案の発表 | 日本国憲法の誕生

  〇「文化の日」がきまるまで 著:山本有三 

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