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【ちょっと懐か史】『烽家(とぶひや)』の遺跡が見つかる~1996年3月1日『飛山城跡発掘』~

1996年3月1日の新聞記事にありました。

発掘中の宇都宮市「飛山城跡」から、全国で初めて烽家(とぶひや)』の遺跡が出土したと、宇都宮市教委が発表したそうです。

『烽家(とぶひや)』とは、記事によれば『のろしをあげて、敵の来襲をしらせる軍事施設のことだそうです)

発見されたのは1995年12月。
8世紀~9世紀のものとみられる竪穴住居跡から、『内側の底に烽家(とぶひや)と墨書きされた土器が出土』しました。
土器自体は9世紀半ばの平安時代初期のものと推定されるそうです。

文献では確認できるものの、施設の存在を示す土器が出土したのは全国で始めて、とのことです。

烽家(とぶひや)は朝鮮半島との紛争があった7世紀後半から西日本を中心に設置され始め、10世紀には廃止されたようです。

7世紀後半というと、663年の「白村江(はくそんこう/はくすきのえ)の戦」(中国の唐と新羅の連合軍に日本が敗れた)の時期も含まれますね😮。

唐と新羅の連合軍が日本に攻めてきたら、それを大和朝廷に知らせるために、西日本を中心に『烽家(とぶひや)』を設置し始めたということなのでしょうか。

ただし、「飛山城跡発」から出土した『烽家(とぶひや)』は、宇都宮市教委では『当時、緊張関係にあった東国の蝦夷を監視するために設置されたとみて』いるそうです。
おそらく9世紀半ばの平安時代初期は、中国の唐と新羅の連合軍が攻めてくるという危機的な状況でなくなっていたのでしょう🤔。

最初の目的で多く作られた西日本から、『烽家(とぶひや)』が発掘されてもよさそうなものですが、見つかっていないそうです。
 
軍事施設として高く見晴らしの良い所に作られたため、廃棄された後、砦や城塞などが改めて作られたのかも知れませんね🤔

今回、宇都宮市から始めて見つかり、それが当初とは違う目的だったと推察されたのは、興味深いですね。

記事では、『対朝鮮半島の軍事目的が主とされてきた烽家に内政的な役割もあったと裏付けされた』と記述されています。


■引用資料
読売新聞1996年3月1日紙面

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