音楽による思考の停止
毎日note 25日目です。
Haniwaさんの「宗教に犯されているのではないか。」という曲が好きです。
「音楽」という宗教に対して独自の姿勢を見せた、挑戦的なポエトリーリーディング。
昨晩好きなアーティストの弾き語りのツイキャスを聴いていたとき、この曲を思い出さずにはいられませんでした。
私は普段動画サイトで音楽を聴くときはコメントを見ないようにしています。
しかしツイキャスはコメントを非表示にすることができず、流れ続ける賛美のコメントが否が応でも目に入ってきました。
そのとき抱いた畏怖の念の正体が、はじめはわかりませんでした。
「○○さんの歌全部好き」
「なんでもできてすごい」
「天才すぎる」
…………
ああそうか、これは宗教なんだ。
神の施しを、親を待つひな鳥のように口を開けて待っている。
神の意思以外は見向きもせず、賞賛し続けることに楽しさを覚える。ただよだれを垂らして音楽に溺れている。
そして、ついには考えることもやめてしまう。
上記「宗教に犯されているのではないか。」では、このような音楽による思考の停止に対して警鐘を鳴らしています。
以下はその歌詞の一部です。
定められた決まりに従った言葉ばかり述べる。
甘い音の調和が、魅力的な青を想像させる。
私は「逃げ出そう、」と立ち上がる。
そして、あなたを救いたいと思う。
可哀想に。
歌が世界を変える必要があるのか。
考えろ。
あなたは、音楽に犯されているのではないか。
あなたには感情がある。
あなたには知識がある。
あなたには概念がある。
それに従って判断を起こせ。
「思考の停止」と定義づけてしまうと何だか恐ろしいような気がします。
自らの言葉で表現することを諦め、ただ消費者としてコンテンツを貪る存在になってしまうのですから。
でも、それも良いのではないでしょうか。
何も考えないで「エモいんじゃ〜」と体を揺らし、まともに聴きもせず「新曲も最高だった」とツイートしたとしても、それが辛い日常の中の救いになっているのであれば…
って、曲を作ったこともない私が言ってはいけないのかもしれませんが。