緊急事態宣言下の誤植に思うこと
(この文章は4年前のものです。ただ、どうしても記録として残したいと思い、振り返りを兼ねて下書きとしてひとまず書き記しておきます)
2020年4月からは営業時間を変えて、意気揚々と次の展開を目論んでいたのだったが、そうは問屋がおろさなかった。店で手を動かしながら、別のことをぼんやり考えてみたり、仕事を離れて、例えば散歩の途中で書き留めておきたいことが浮かぶことは、少なくない人が経験しているはずである。
いつの日付かは忘れてしまったのだが、この写真を記録として残しておきたいとは思っていたらしく、記事をみるかぎりでは2月28日付のようだ(確かめていない)。
ちょっとよくよく見てもらいたいのだが、これをみて私は目を疑った。この見出しの、サブタイトルの組みがおかしい。「増」と「加」のあいだにアキがある。これは誤植と言っていいと思うのだが、どうだろうか。本を読む一人として、また組版をされるかたにとってはなおさら、これはけして看過できないはずである。
この国の小学校や中学校、高校が一斉に休校を余儀無くされる頃のことだ。わたしは、この紙面の「アキ」から、少なくないひとが動揺している、と感じたのだった。同時にこの「アキ」は、とても象徴的なことのように思えた。編集部はきっと混乱していて、このDTPをされたかたは、上司からの指示で、急ぎで直しなどを迫られたのではないだろうか。文字の誤植などほぼ考えにくい最大手の新聞社にあって、このような組版のズレについてもまた、これまでにみたことはなかった。だからこそ、緊急事態宣言のあの頃、多くの人が動揺し、焦りを感じていたのだろうと思う。その文字通りの〈記録〉としての誤植。
別のことも思った。このレイアウトを担当したかたは正社員だろうか。 新聞社は、いま、こうした作業をしている人を正規で雇っているだろうか。この文字のあいだにある、文字どおりの「隙間」を、わたしはじっと見つめた。
この空白、見出しの「アキ」は、なんだろうか。私は不気味にすら思えた。この頃を思い出せば、振り回され、焦り、どうすればいいか、不安に苛まれる始まりの時期ではなかったか。つまり、動揺が社会を覆い尽くしている瞬間が、ここには現れているのではないのかと。
(わたしは自身の興味関心について、あるいは欲望として何かを書きたいと思うことはほぼなくなってしまったが、でも2020年のこの時期のことくらい、書き留めておいてもよいと思って、ひとまず記している。これは殴り書きの域を出ていないので、悪しからず)