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ただ愛を感じていたい

「鎌倉殿の13人」というのは、これからやる大河ドラマなのかな?
テレ玉とダウンタウンの出ている番組以外アマゾンプライムかYouTubeで生きている勢なので、ドラマとか疎くてよくわからないのだ。

その「鎌倉殿の13人」に、私の大好きな木曾義高が出るそうだ、もちろん俳優さんが演じるわけだが。

俳優さんには申し訳ないのだけれど、生身の、「誰かが演じている」義高が画面越しに動いているのを今の私には受け入れる自信がないので、私自身は「鎌倉殿の13人」は見ないと思う。

とはいえ義高と大姫のストーリーを大河ドラマ化してほしいとは、常々考えてきた(という矛盾)。
ちゃんと二人を主人公にして、二人の悲恋にスポットライトを当てたドラマを、大河とは言わなくとも特別二時間ドラマくらいの尺でいい、というか映画とかでやって欲しい。
でも実現させるならばけっこうな幼い子どもを抜擢することになるんだと思うので、なかなか難しい。
そして、作品の大半が「義高を喪ってからの病んだ大姫」のストーリーになるんだろうなあ。

ざっくり言うと、義高と大姫の婚約者カップルは、まだまだ大人からしたらおままごとみたいな関係性(に見えていたけれど本人達はいたって真剣)だったさなかに、大姫の父親である源頼朝によって、義高が殺されてしまうという形で引き裂かれてしまうのだ。

大姫なんてうんと幼かったらしい。けれど大姫は、義高の死に大きなショックを受け(そりゃそうだ)、その後亡くなるまで独身を貫く。20歳くらいで亡くなったんじゃなかったかな、今でいう鬱病みたくもなって、それを嫌味に言われることもあったらしい。「まーた姫様は気病みだよ!」みたいな。

腹立つよなあ、他人事ながら。
最愛の人に死なれて、鬱病になって何がおかしいんだってゆー。

昔は、義高のことばかり好きだった。
でもこの一年くらいで、大姫に感情移入する自分に気づくようになった。

私の人生はほんと紆余曲折しまくって、何故だが埼玉にで辿り着いて今に至るのだけれど、お陰様で義高の終焉の地(この記事のTOP画)とか、義高のお父さんの義仲の生まれた場所とか、とにかく木曾親子のゆかりの地がめちゃくちゃ身近にあったりして、なんちゅうご縁だろうと未だに驚かされている。

ああ、大姫の愛した人のかけらがたくさん転がっている―そう感じて嬉しかった。
ここに、確かに義高が生きた証があるのだ。
義高と大姫の愛が確かにあったこと、それが私にも、伝わってくるのだ。

悲恋だった、けれど、大姫はその愛を貫いて短い生涯を終えた。
愛した人のためだけに燃え尽きた命というのがどれだけ尊く美しいか、想像しただけで私ごとその炎に焼き尽くされそうになる。

ここ最近ちょくちょく話題にしていることだけれど、世の中さすがに「性」だけで恋愛すっ飛ばしてる感じが漂いすぎてしんどい。
否、いいんだよ、セフレとかそういうものに心が救われることとてきっとあると思うし、そういったことを否定したいんじゃ無い。
なんて言うのかな、ほんとこういう話題出すたんびに私はとくだんフェミニストでは無いと前置きしているし、自分もできるならば巨乳になりてえ、とも話したこともあるのだけども。
ちょっとね、世の中に「力でどうにかして性的欲求を果たしたい」人たちが増え過ぎな気がしてしまってね。

大姫たちが生きた時代だって、似たようなものだったのかも知れない、よう知らんけれど。
戦国時代だと戦で負けた土地の女は好きにしたっていい、みたいなのもあったって言うし。
落城した城の姫様があんまり綺麗だったから、勝軍でえらい長いこと凌辱しまくったっていう昔話も聞いたことがある。

ただ、少なくとも大姫は確かに義高を愛していて。
義高も大姫を、愛していた。

それがわかるだけで、私の心はずいぶん救われる。

ついでに、夫である頼朝の妾だかにさんざんひどい仕打ちしたとかいう北条政子の話もけっこう好きだ。
そりゃあ妾なんて嫌だよね、それくらい頼朝を愛していたんだろうから政子が辛辣になるのも私としては理解できる。
そして政子は最後まで義高を救おうとしてくれていたし、ずっと大姫を思ってくれていた、素晴らしい母親だもんで、政子様大好きです私。

眠れぬ夜中のテンションでいろいろ書いてしまったけれど、義高や大姫のことは以前にも記事にしていたので、のちほどまたリンク貼ったりしてこの記事ごと再編したいと思います。たぶん。

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桃胡雪(みるくゆき)
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