ずっと、兄の声を抱いて歩いている
スピッツを聴き始めた頃から、なぜか妙に「楓」という曲が好きだった。
自分でも正直、その理由がわからなかった。まるで、物心つく前に子守歌で聴いていたかの如く(1998年7月7日リリースだからそんなワケないのだけれど)、「楓」は私の心を魅了した。特に、高校生の頃。
この曲、辛島美登里さんもカバーしている。それこそ高校時代、レンタル落ちのCDを見つけて買って聴いた。辛島さんの歌う「楓」も素晴らしかった。当時の私には原曲のキーが低かったので、カラオケでは辛島さんバージョンと同じキーまで上げて歌ったりもした。
ちょうどその頃「最終兵器彼女」というマンガをすごく好きだった私は、その世界観と「楓」がよくマッチしている気がして、なんとなくその両者を重ねて眺めていた。「最終兵器彼女」の舞台は、小樽。私が高校時代を過ごしたその街で、戦争が起きてやがて終末すら訪れる—そんな世情にがっつりと(だって少女は文字通り「兵器」になってしまうのだから、)翻弄される高校生カップルを描いた物語、それが「最終兵器彼女」だった。
私は、今でいう聖地巡礼を幾度もした。主人公の実家のある辺りもなんとなくだけれど特定したし、物語の中でとても重要な場所である展望台にも勿論行った。街の風景の中でほんの少し写っているカラオケボックスは、私がまだ北海道にいる内に無くなってしまったことを覚えている。
登場人物と自分が同世代というのは、妙な臨場感があった。青年誌での連載だったと記憶しているので、高校生にはやや過激なセックスシーンもあった(ただし、ただエロい描写というワケでは無い)。過去に関係した相手との浮気とか、好きな人と結ばれることがないゆえに起こる別の相手との処女喪失とか、そういうシーンも当時の私には衝撃的だったけれど、でもそれらが一層、物語に臨場感を与えていた。きれいごとだけでは進まない、それがこの世界なのだから。
薦めてくれたのは、五歳くらい上と、二つ上のお兄さんを持つ友達だった。お兄さんにとてもよく愛されていて、カラオケではお兄さんの影響でMr. Bigを歌う、そういう女の子だった。恋愛沙汰にはまったく疎い女の子だったけれど、お兄さんたちが割と突然、いきなり出来婚していたと記憶しているので、今はもうとっくに疎遠になった彼女も、案外あっさりと結婚して母親となっているかも知れない。
お兄さんにとにかく可愛がられて、愛情に不自由することなく健全に生きているその友達のことが、私はとてもうらやましかった。
私は兄を亡くしていて、そのこともあってか「兄」という存在に人一倍の執着—に、近いものを抱いていた。亡くした兄は私にとって、心の中の神様にも近かった。何かがあれば「お兄ちゃん」に祈る、そんな存在であったと同時に兄はどことなく、私の中の理想の恋人像みたいな部分も担っていたと思う。
亡くなった当時の兄は小学生で、ついでに私はその頃まだ生まれてもいない。けれども兄は私の中で絶対的な存在で、兄は私にとって、何があっても私に味方してくれるのだと信じ切れるほどの、ゆるぎない信頼を得た人だった。そんな兄だから、モテないどころか男子から嫌がらせされる私は、深層心理で「お兄ちゃんより私を好きでいてくれる男の人はいない」と認識していたに違いない。だから私は「ベルセルク」のセルピコとか、「ポーの一族」のエドガーとか、そういう「妹を愛している兄」という設定がとても好きだった…今、も。
そういえば、他にも「お兄ちゃんが大好き」と言い切っていた友達がいた。彼女の場合はヘタをすれば本当に、近親相姦すら犯しかねない危うさがあった。彼女も大学に進んでからは恋人ができたと聞いたけれど、穿った見方をすれば、手に入らない兄の代わりに適当な男を見つけたのかなとすら思う。あのコは今、どうしているだろう…まあ、本人が幸せに過ごせているならば、どんな環境であったっていいと思う。
とにかく、そんな心を抱きながら駆け抜けた高校時代、私は時に自殺も考えながら、正方形のMDプレイヤーで「楓」を聴いた。もしも私のお葬式があるなら「楓」を流して欲しいとすら思った。マサムネさんからしたらそんな使い方、いい迷惑に違いない。
「楓」の中でたくさん出てくるフレーズである「君の声」とは、当時の私にとって、いったい誰の声であったのだろう?
憧れていた、人並みの恋愛に。「最終兵器彼女」みたいに、同じ校内で誰かと愛し愛され合って、何なら終末をも迎えてみたかった。
それが叶う様な環境に無かったから、私はますますお兄ちゃんにすがった。実家の仏壇の上、いつまでも幼い子どもの写真のままの兄なのに、発語の無い自閉症児であったはずの兄なのに、それでも兄はいつだって、私の中で優しく味方してくれる。ヒステリーな毒親の母にひどい言葉を投げつけられても、それでも兄だけはすべてをしかと見守り、私を抱きしめてくれる。
「君の声」とは、兄の声だったのだろうか。
でも私は結局、兄に「さよなら」なんかできずに大人になった。
ベッドの上でぐうぐうといびきをかいて眠っている私の夫は、偶然にも兄と同い年なのだ。
私は遠い昔からずっと、兄のことを求めて、兄の声を抱いて—この世を、彷徨ってきたのかも知れない。
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