しあわせ つくるよ
私がヘヴィメタルバンドを始めて、本当にまだ間もない頃のこと。
Twitterで何かを投稿しても誰からも反応を貰えない時もままあるほど、私たちが今以上に無名も無名だった、バンドの本当の黎明期の頃だったように記憶している。
柚子の実に顔のついた、武士のようないでたちのキャラクターをアイコンにしたとある企業と、埼玉のご当地バンドとしての定着を目指すヘヴィメタルバンドが、ひょんなことからTwitterで相互フォローを交わしたのだ。
越生特産物加工研究所—私のバンドメンバーであり夫のZAKIの生まれ育った町・埼玉県は越生町の第三セクターとして設立された会社だ。
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ところで、第三セクターとは何か、皆様はご存じだろうか。
第三セクター(だいさんセクター)は、第一セクター(国および地方公共団体が経営する公企業)や第二セクター(私企業)とは異なる第三的方式による法人。略称は三セク(さんセク)。
意味は以下2通り。
α NPO・市民団体などの非営利団体。
β 国や地方公共団体と民間が合同で出資・経営する企業。
(以上Wikipediaより引用)
越生特産物加工研究所は主に、越生町の梅や柚子を使った商品を製造・販売している。つまり、上記のβに当たる企業となる。
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ここからは社名の代わりに親しみを込めて、商品名でもあり、そしてアイコンにも使われている越生特産物加工研究所のマスコットキャラクターこと、あの柚子頭の武士の名前である「ゆず之介」と呼ばせていただこう。
確か、ZAKIがどこかからゆず之介の会社のジュースを貰ってきて、その軽い食レポ(飲レポ?)を私がTwitterに投稿したことがきっかけとなった。ゆず之介がその投稿を見つけてくれて、引用RTをしてくれたのだ。
ゆず之介は「~でござるよ!」といういかにもサムライちっくな言葉づかいで、私に話しかけてきてくれた。
(たとえば、こんな感じ。)
おわかりいただけるだろうか。
無名も無名、「そんなのまだバンド活動の内にすら入らないよ、」と言われても言い返せない、吹いたら消えそうなほどか弱い炎を灯したばかりのバンドだった。
そんな私たちに、優しくリプライをくれたのがゆず之介だったのだ。
「ああ、あそこの会社かあ!」と、当たり前にZAKIも知っていた、そんなゆず之介。越生町民にとっては至極身近な会社がTwitter上で絡んでくれた—それは私にとって、本当に名誉で、嬉しいことだった。
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ここで少し越生町について紹介しよう。
越生町(おごせまち)は、埼玉県のほぼ中央にある人口約1万1千人の町。関東三大梅林の1つである越生梅林を有する。ーWikipediaより引用
梅の時期にはその花を愛でにたくさんの人が訪れる、小さな町。
しかしながら、川越城ならびに江戸城を築いた太田道灌、そしてその父道真と縁深い土地でもあり、そのお墓や山吹伝説も遺されている。
道灌が父を尋ねて越生の地に来た。突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺き(かやぶき)の家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。—Wikipediaより引用
また、製作年が分かる仏像としては関東地方で最古とされている木造如意輪観音半跏像も、越生町の如意輪観音堂にあったり…なんというか、歴史が好きな人には結構おいしい町、な様に私は感じている。
他にも、かの大友康平さんが学生時代を過ごした土地であったり、人気ラップグループSUSHIBOYSの出身地でもあり、越生は規模の割に芸能人の輩出が多い町とも言えるのだ。
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こうして私のバンドとゆず之介との交流が始まった。
ゆず之介は本当にたくさん、私たちの活動についてRTをしてくれた。それはきっと、越生で育ったZAKIがギターを務めるバンドが、埼玉に根付いた活動を志すことを、同じ埼玉の、越生の者として応援してくださる、ゆず之介の「中の人」のあたたかいお気持ちによるものだった。
そこがもしかしたら第三セクターという立ち位置の素晴らしさなのではないか。第三セクターは、国や地方自治体(第一セクター)が共同出資している分、定義上、民間企業(第二セクター)よりもっと地域に密着した存在と言えるだろう。
ゆず之介は越生町を代表する企業だ。だからゆず之介は、越生町に生まれた「子」なのだ。つまり、ZAKIと同じ。越生町に生まれ育った子どもたちが、成長し、互いに切磋琢磨しながらそれぞれの目指すところに向かっている。だからゆず之介はこんなにも、私たちのバンドを応援してくださるのだろう。
私はそのことが嬉しくてしょうがなかった。ちょくちょくゆず之介の会社の商品を買っては、他に何かできることはないかと考えた。こんな小さなヘヴィメタルバンドを応援してもらっているのだ、私だって応援のお返しをしたい。
私たちが今できることは何だろう—ん?そもそも私たち、音楽を演っているのだった。
思いついたその日の内に、私はゆず之介にDMを送った。そうして御許可をいただき、否、実は御許可をいただく前にもう既に、この曲の外郭を作り上げていた。
「越生特産物加工研究所のうた」、ゆず之介への応援ソングを作ったのだ。
本当はSEX MACHINEGUNSの「みかんのうた」みたいな、梅や柚子を題材にしたメタルな曲を作れたなら良かったのだけれど、それはとりあえずまたの機会に。私はまず「CMソングっぽい曲」を作りたかったのだ。道産子である私は、子供の頃「千秋庵の山親爺」のCMが大好きだった。あんな風にモフモフっと幸せになれるような曲を、ゆず之介に贈りたかった。
歌詞中に出てくる「ゆず之介」はもちろんのこと、「元気百梅」も「うめ娘」も、商品名だ。しれっと商品名を出して、商品名ごと記憶に残るものにしたかったのだ。
ゆず之介は、この曲をとても喜んでくれた。御礼に「元気百梅」の詰め合わせまで贈ってくださった。
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もっと、有名になりたいと思う。
そのことが、今まで私たちを応援してきてくれた人たちへの、最大の恩返しになると思うからだ。
それはもちろんゆず之介に対しても思うことで、たとえば昔とんねるずの番組(確か「食わず嫌い」)で、出演者が手土産にいろいろなお菓子なんかを持ってきて、それがきっかけでそのお菓子の名前が売れることがあった。最近だと「格付けチェック」でYOSHIKIさんが食べていたお菓子みたいな広まり方だ。そうやって、私のバンドがきっかけで、ゆず之介の商品をもっともっといろんな人に知ってもらえたら。それが私なりの、ゆず之介への恩返しになると思っている。
最後に、紹介した「越生特産物加工研究所のうた」の歌詞を載せて、筆を擱くことにする。
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おいしくって うれしくって 元気百梅!
(うめ娘、どこ行くの?)越生で ゆず之介が 待ってるの
しあわせ つくるよ
越生特産物加工研究所(すきよ!)
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参考資料・越生町ホームページ
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