親鸞聖人とは。浄土真宗の宗祖 親鸞聖人の生涯~誕生編~
皆さん。親鸞という名前を聞かれたことはあるでしょうか?
浄土真宗のお寺に通われている方は、ご法話などで、よくその名前を耳にすることもあるでしょう。また、お寺とはご縁がない方も、どこかでその名前を聞いたことがある方もおられることでしょう。
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親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、日本を代表する宗教家、思想家であり、偉人と言われるような方です。しかし、親鸞聖人は自分自身のことを優れているとは思われず、むしろ仏道や社会を生きる中で、多くの悩みを抱え、自身の罪や欲深さを深く見つめていかれた方でした。
聖人が生きた時代は、争乱や度重なる飢饉、地震などがあった激動の時代でした。その中で、人の生き死にを間近で見て多くのことを感じられたことでしょう。また、人間社会の中、家族との生活の中で、出家や流罪、お子様との義絶などを経験され、思い通りにならない苦しみを、まざまざと感じられたことでしょう。
悟ったというよりは、思い通りにならない苦悩を抱え、自分自身を深く見つめられた方だからこそ、その言葉の一つ一つに重みがあり、ご往生から750年以上の時が経っても、我々の心を打ち、未だに語り継がれています。
また聖人は、苦悩するだけでなく、良き仏の教えに遇い、良き師やお同行(お念仏の仲間)と出あい、家族と出あい、お念仏の生活の中で救いと深い喜びを感じられた方でした。
今回は、親鸞聖人の生涯の中でも、誕生にスポットに当てていきます。是非、親鸞聖人の物語を通して、ご自身の人生を味わっていただくようなご縁にしていただければ幸いです。
古典を読んだり、偉人の物語を聞くことで、過去の方々がどのようなことに悩まれ、どのように乗り越え、生きたのかに触れることができます。そして、時代が経っても、人間の根本的な悩みや喜びは変わっていないことに気付かされます。そして、その古(いにしえ)からの物語や言葉に、我々は励まされ、喜びを感じることができます。
ではご一緒に、親鸞聖人の生涯を見てまいりましょう。
◆親鸞聖人の誕生
親鸞聖人は、承安(じょうあん)3年(西暦1173年)に、京都にてご誕生されたと言われています。
出生の記録はありませんが、親鸞聖人の書物に書かれた年月日と年齢から逆算すると誕生の年が分かります。
誕生日は、正確には不明ですが、江戸時代の真宗高田派の僧侶 五天良空(ごてんりょうくう)が書かれた『高田開山親鸞聖人正統伝』(たかだかいさん しんらんしょうにん しょうとうでん)の中に、4月1日に誕生と記されています。
浄土真宗本願寺派(本山:西本願寺)では、太陽暦になおし、現在では5月21日を親鸞聖人の誕生日としてお祝いしています。
◆宗祖降誕会
親鸞聖人の誕生日をお祝いする催しを、宗祖降誕会(しゅうそごうたんえ)と言います。
宗祖とは、ここでは浄土真宗の祖ということで親鸞聖人のことです。
ご本山の西本願寺では、5月20日と21日に法要がおこなわれ、一般寺院では5月21日やその前後に催しをおこなわれているところもあります。
降誕会の内容はお寺によって各々の仕方で親鸞聖人のご誕生をお祝いされています。ちなみに、私が預かる信行寺では、降誕会に合わせて、お子さんの誕生を祝う初参式をおこなっています。
親鸞聖人のご誕生と、信行寺の門信徒のお子様のご誕生とをお祝いし、阿弥陀如来という仏様へ、新たないのちの誕生をご奉告しています。
◆親鸞聖人の誕生地
親鸞聖人がご誕生された場所ですが、不明とされています。親鸞聖人は、著書は多くありますが、ご自身のことをほとんど記されていないため、詳しいことが分かりません。
ただし、京都市伏見区にある日野という地を、親鸞聖人幼少の頃のゆかりの土地として、現在は誕生地とされています。
江戸時代の末期に、本願寺の第20代ご門主(本願寺派の長)の広如上人(こうにょしょうにん)が調査を命じ、日野という地をゆかりの土地と定め、「有範堂」(ありのりどう)というお堂を建てたと伝わっています。
その後、時代を経て昭和6年(1931年)に「日野誕生院」として建物などが整備され、現在にいたっています。
ちなみに「有範堂」の有範とは、親鸞聖人の父である日野有範から名前がついています。また、日野の地は日野氏が受け継いだ土地があり、日野氏の別邸を建てたことから、日野の里ともよばれてきました。誕生院の隣にある「法界寺」(ほうかいじ)は、日野家の菩提寺と言われます。
この京都の南に位置する日野の地は、親鸞聖人の在世時は、普段生活する場所ではなかったようで、藤原家などがお墓や別荘をつくる場所だったそうです。親鸞聖人の父 日野有範は役人であり、日野から京都市まで毎日通うことは難しいですから、日常から日野に住んでいたとは考えづらいようです。
ただ、親鸞聖人の幼少の頃は、源平の争乱の中であり、戦から逃れるため、日野に一時避難されていた可能性は高いそうです。
そして、「法界寺」には、昔から大きな阿弥陀如来像が六体ほどあったと言われ、親鸞聖人も幼少期にその阿弥陀如来がおられる空間で、仏様への思いを培われた可能性はあるとのことです。ちなみに、阿弥陀如来という仏様は、浄土真宗のご本尊であり、親鸞聖人が生涯大切にされた仏様です。
今回は、親鸞聖人の誕生にスポットを当て、お話しました。次回も親鸞聖人の生涯を詳しく見ていきます。
※参考・引用
今回の内容は、本願寺にて真宗史を専門とされている岡村喜史(よしじ)先生の研究を参考・引用させていただきました。
岡村先生には、中央仏教学院にて真宗史のご教導をいただき、大変お世話になりました。
また、本願寺から出版されている『大乗』の「釈徹宗の隨縁探訪」での岡村先生のお話も、参考・引用させていただきました。
最後までご覧いただきありがとうございます。
合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生
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