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無常の人生をいかに生きるか

秋も去り春も去って、年月を重ね、昨日も過ぎ今日も過ぎました。いつのまにか老いの身となってしまっています。
そのうちには、花鳥風月の風流な遊びをしたり、歓楽苦痛の喜びや悲しみもあったのでしょうが、今はこれといって思い出すことは一つもありません。ただむなしく過ごし暮らして、老いの白髪となった自分のありさまは悲しいものです。
そうでありながら、今日までは無常のはげしい風にさそわれ、いのちをおとすこともありませんでした。そんな、いかにも死とは無縁であるかのように思っている自分のありさまを、よくよく考えてみると、ただ夢や幻のようです。
今となっては、生死の迷いを離れる道を、願い求めるばかりです。そこで末法の悪世を生きる私たちのようなものを、「必ず救う」と誓ってくださった阿弥陀仏の本願があると聞けば、とてもたのもしく、ありがたく思われます。
(『御文章』「三首の詠歌章」四帖第四通/蓮如上人)

この文章は、本願寺の第八代宗主 蓮如上人が書かれた手紙にあるものです。

蓮如上人は、本願寺の中興の祖とも言われる方で、布教伝道と寺院の組織化や改革を進め、本願寺を一大教団にした方と言われています。その布教伝道の一つとして、蓮如上人は多くの手紙を書き送っているのですが、この手紙もそのうちの一通です。

三首の詠歌章という名のついたこの手紙の冒頭には、蓮如上人自身が歳を重ねる中で感じる無常の実感が綴ってあります。

無常の人生をいかに生きるかと考えた時に、できるだけ日々を充実して生きようとする工夫も大切なことでしょう。しかしそれだけでは、無常の根本問題である、歳を重ね、病になり、亡くなるといった老病死の問題は解決されていません。

老病死の無常の人生に、むなしさや悲しさを感じながらも、よりどころを持つことで、深い安堵や喜びの心を持ちながら生きていくことができる。そうしたことが、この手紙には記されています。

今回は、無常の人生をいかに生きるかについて、考えてみたいと思います。

まずこの手紙は、蓮如上人が63歳の時に書かれたものだと記されています。

蓮如上人が生きた1400年代当時の63歳と、現代の63歳とでは、ずいぶん感覚が違うものでしょう。医療体制やインフラ、食糧事情が現代とまるで現代と異なる昔では、寿命も現代より短かったと言います。

寿命だけでなく、精神年齢や見た目もずいぶん違ったのではないでしょうか。アニメ『サザエさん』に出てくるおじいさん、磯野浪平は54歳の設定だそうです。現代の54歳というと、まだまだおじいさんと言うには若いという印象ですが、浪平さんはおじいさんの貫禄があります。

そう考えると、1400年代を生きた蓮如上人の63歳とは、歳を重ねた人生の晩年という実感があったのかもしれません。蓮如上人は85歳の高齢まで生きた方ですが、63歳の時点で、既に老いを実感していることが手紙から伝わってきます。

「いつのまにか老いの身となってしまっています」とか、「老いの白髪となった自分のありさまは悲しいものです」というような表現は、まさにそうではないでしょうか。

そして、「今はこれといって思い出すことは一つもありません。ただむなしく過ごし暮らして」というような表現からは、切なさが感じられます。

このような蓮如上人が感じられた「月日の流れゆくさま」や「歳を重ねる無常の実感」は、たとえ時代によって寿命が変わろうとも、ある程度の年齢になれば変わらず感じるものだと思います。

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