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Deaf ResilienceとAudismの再考

コロナウィルスの影響による今年度の研究での見通しが見えなくなった近状,あるツイートについてTL上で論争していた.
そもそも,このツイートでは主観的な観点もあり,あまり反論とかしたくなく,日常的にスルーしようとしていたが,色々と思うところがあったので,140字内のツイートに収められる自信がなく,ここに記します.

真っ先に,どうしても反論したくなったのが,下記の2点.

1. 結局,聾者は聞こえない事で健聴者と関わるのが出来ない,怖い,とかの理由で聾者だけで集まって楽しもう!とか考えてできたのかなと思ってます.
そういった集まるのが習慣になり,デフリンピック,関コン,全コンなどの集団ができたんじゃないかと考えています.

※1: 関コン→関東ろう学生懇談会,関東にある大学に通っている,ろう・難聴学生が主に集まり,情報交換・交流などを行なっている団体
※2: 全コン→全国ろう学生懇談会,関東ろう学生懇談会などの地方毎にある団体を取りまとめており,全国規模でイベントを実施するなど活動している団体

2. 聾者の集団は,噂話が直ぐに広まります.それだけでなく,派閥も酷いです.
また,聾者が集まるだけではなく,聾者の中には発音が出来ない,しない人がいます.聾者が発音しないのは心の底からおかしいと思っています.

1に関しては,友人の説明が分かりやすかった文章があったので,引用.

これらの説明をまとめた動画が, YoutubeのTEDにて公開されており,ASL(アメリカ手話)or 英語の字幕で見れるようになっています.

この,そういった集まるのが習慣になり,デフリンピック,関コン,全コンなどの集団ができたんじゃないかと考えています.については,習慣があったからではなくて,ちゃんとした目的に基づいてできたと捉えるべきであって.
デフリンピックは,オリンピックなどで平等に競い合える権利(or 場を)得られず,競い合えない状況を突破するために,まずはみんなで競い合える場を作ろう,そこから何を求めたら良いか考えていこう!という流れで動いたんではないかと思っています.実際に,過去はまだ補聴器や人工内耳もなく,陸上で用いられるスタート合図を目で視認できるように光刺激スタートシステムもまだなかった時代だったからこそです.デフリンピックやデフスポーツに関しては,筑波技術大学の中島先生がこの講義で教えてくれると思います.

また,関コン,全コンに関しては,過去の大学に通っていた際はノートテイクや手話通訳などの情報保障も用意できず,他の皆と比べて十分とはいえない環境で学ぶことが難しかった状態です.そこからどうやって情報保障をつけてもらえるか?どうやって教員や周囲の人々に理解促進したら良いか?の議論を繰り広げるためにできあがったものです.そのおかげで繰り広げてきた知見や活動してきた経験が今に語り続けられてきて,今の学生にとってロールモデルに近い先輩方を見習いながら動きやすくなってきたと捉えています.

ここからは私個人の見解ですが,逆に言えば,テクノロジーや理解促進,法律が整備されつつある今だからこそ,これらの意義とは何か?と見えにくくなり,今のように反論されるのも無理もないと思ってしまったのも否定できなくて.

だからこそ,今の研究を始めた一因にもなったし,研究を進めていくにつれて,どうやって問いかけていけたら良いかのも今頭の中であれこれと練りながら自分と語り合っています.ここら辺は,恐らく博論で述べることになると思うので,1〜2年ぐらい首を長くしてお待ちしていただけると嬉しいなあっていう気持ちです.


2については,聾者だからというよりもどこも同じじゃないかと思ってしまっている部分があります.簡単に言えば,町や村とかの井戸会議みたいな感じで,噂が直ぐ広まってしまうといったイメージを持ってもらえばと思っています.それが偶々全国規模の友人がいる方はそれで広まっているだけでの話なので,私としてはそこまで気にしていなく,基本スルーするようにしています.

また,発音が出来ない,しない人がいます.聾者が発音しないのは心の底からおかしいと思っています.に関しては,逆に問いたい.
では,仮に自転車に乗れない,乗らない人がいたら,それは心の底からおかしいと思うのか?英語が話せない,話さない人がいたら,心の底からおかしいか?スカートを穿けない,穿かない人がいたら,おかしいか?
おかしいと思った時点で,同様に恥ずかしいと思わないだろうか?

さらに具体的に言ってしまえば,車椅子に乗っている人はなぜ足で歩かない?目が見えない人はなぜ1人で歩かない?ってストレートに言われてしまっているのと同じような気持ちじゃないかと声を荒げてまで言いたくなります.

この部分については永遠に正解が見つからない議論だと捉えており,過去にこんな記事も書いたなあと思い出した.

これらは筆者のこれまでの経験を通して,色々と学ぶことがあったし,逆にぶつかってしまった相手は今でも申し訳ないと謝りたいと思うほど愚かだったともう反省しています.

だからこそ,ツイート主は,これを機に色々な知見や世界観を学び,自分の収穫になってもらえたらと祈っているしかない.

みんな,そう熱くならないで,冷静に語り合おう.これからの未来を背負う若者を見守ろうぜ.

私も前を向いてやることをこなしていく.

最後までなんかだかなとまとまらない話でした

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Thetaθ Akihisa (Akihisa Shitara)
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