目次と読むための地図
目次
黒い脳髄としてのクロールスペース 1986
近代の誕生
窃視と暗い部屋
監視と処罰
監獄のヒューマニズム
無限後退する自由意志
終わりなき近代
イメージの時代におけるクリムゾン・キングの宮殿 1969
グローバリズムの走馬灯
憑在論としての歴史の天使
ロゴスと叫び
サンチャイルドを待ちながら
イメージの場としての運命の宮殿
よゐこのポストモダンの共産主義 2009
共産主義の胎内記憶
憑在論としてのボケ
テレビとゲーム的リアリズム
月の住民を待ちながら
忘却の明るい島
計算の時代におけるスタートレック 1969
インターナショナリズムの走馬灯
憑在論としての愛
主観と間主観
憐れみの間身体性
計算の場としての世界法廷
銀魂の資本主義リアリズム 2009
資本主義の胎内記憶
憑在論としての新自由主義
歴史の終わりと新保守主義
日輪を待ちながら
忘却の絶望の島
動きすぎてはいけない サメ映画について 2016
スタジオ・システムの転覆
潜在的イメージとしての大洋
大洋を現働化するテーマパーク
科学の終焉と責任という原理
漂泊の…戦場の…
存在論的、郵便的—浅瀬
観光客の哲学 エアポートシリーズ 2016
科学技術の墜落
脱領土としての空港
空港を再領土化する愛
冷戦の終焉と責任という原理
遊牧の…戦場の…
公聴会 勉強の哲学
日本沈没の一族再会 1973
日本の走馬灯
憑在論としての戦争
法と崇高
日本を待ちながら
コスモポリタニズムとしてのコーラ
バットマン 偶然性について 2013
コミュニタリアニズムの胎内記憶
憑在論としての廃墟
失われた未来と死
正義を待ちながら
記憶の明るい部屋
仁義なき戦い 1973
DOOM 2013
ウォッチメン 1986
読むための地図
12本の文章を通し、時間と空間のモデルを探すとともに、時代ごとの認識論的枠組、すなわちエピステーメーを大きな近代、現代の断絶から、10年ごとの細かな断絶まで勘案する。そこでみえてくる近代と資本主義の時代を越えた強靭さ、それとの飽くなき終わりの闘争。扱うものも様々に、映画、音楽、お笑い、テレビドラマ、漫画、小説、アニメ、ゲームと盛り沢山。それぞれのメディアの抱える問題、その突破口について考えます。また、内容は哲学的な問題から政治的な問題にまで渡り、さらにはアクチュアルな問題にまで関係しています。
このように、論旨は多岐にわたっており全体を把握することは難しいですが、大きな目的は時間と空間を包摂したより良いモデルを考えることにあります。ここでは、その時間と空間の蝶番としての場所、それをモデルにして全文の見取り図をみることとしましょう。
まず最初『黒い脳髄としてのクロールスペース』では、ヨーロッパの結び、近代のモデルとして監獄を提示しています。これは、近代の認識を特徴づけるカメラ・オブスクラ=暗い部屋=監獄との相似。これが近代に留まらず、集中式建築と呼ばれる教会に多用される構造によって、準備されていたこと。そのことで近代の西洋的、あるいはユダヤ-キリスト教的側面をみつめる。またそれが生み出す暗く閉ざされた閉鎖性と「生権力」について。
このような近代に対する批判としてcourt=宮殿、法廷を提示。『イメージの時代におけるクリムゾン・キングの宮殿』では近世的な運命の宮殿、『計算の時代におけるスタートレック』では近代的な世界法廷を。1969年をキーワードとして。
ライプニッツからの引用による運命の宮殿は、様々な可能世界を内包する「イメージ」の世界として現代に芽吹く。対してヘーゲルより引用した世界法廷は、弁証法的に漸進する歴史を生む「計算」の世界として同じように現代へ。
続く『よゐこのポストモダンの共産主義』『銀魂の資本主義リアリズム』では、アジアからの返答として無人島と島を提示。
まず『よゐこのポストモダンの共産主義』で提示されるのは、ドゥルーズより引用した無人島、それは他者がいない。そこで運命の宮殿的な「イメージ」の限界を明示。対する『銀魂の資本主義リアリズム』で提示されるのは、柳田國男より引用した島、それは外を持たない。そこで世界法廷的な「計算」の限界を提示。このように、無人島と島が明け開けの場所であると同時に閉鎖的でもあること、それを問題として検討。またこれが平成の日本を特徴付けるということも。
次の『動きすぎてはいけない サメ映画について』は、運命の宮殿と無人島といったモデルをある種総括し、『観光客の哲学 エアポートシリーズの哲学のために』では、世界法廷と島といったモデルをある種総括した内容となっています。 まず『動きすぎてはいけない サメ映画について』では、無人島での運命の宮殿的な「イメージ」の限界を、他者のいる浅瀬を想起することで解消。これは一種の映画論でもあり、浅瀬をスタジオ・システムなきアメリカ映画の新たなセットとして提示してもいます。『観光客の哲学 エアポートシリーズの哲学』では、世界法廷と島に欠けた外部、つまり観客を公聴会によって解消。そこで映画の鑑賞する空間そのものをも検討。
そして、さらなる『日本沈没の一族再会』と『仁義なき戦い』では、場の無いモデルとして日本列島の沈没と、戦後の焼け跡を提示。 次なる『バットマン』と『DOOM』では、明るい部屋とサイバースペースを提示しています。
『バットマン』では浅瀬の無人島に欠けた記憶の問題、すなわち時間を明るい部屋によって導入しています。
最後の『ウォッチメン 』はその全てを総括した内容として書いています。
無論、いずれもこのような線的流れを追った文章とはなっておりませんが、全体を貫く骨子はこの通りです。
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