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ユンギを追いかけて考えたこと

3月9日は、BTSの私の推しメンであるミンユンギさんの誕生日だった。

満29歳、韓国の数え年だと30歳。年を取ることがそこまで楽しい年齢ではないと言いながら、30歳はまだ若い、なんでもできると言ってくれることに満30歳のオタクは希望を貰います。

韓国アイドルのセンイル(誕生日)にはカフェを写真で飾りつけして祝うというイベントがあり、日本でも踏襲されている。

星の数ほどいるファンの一人として、私もそっとセンイルイベントを覗きに行った。

世界中のファンが誕生日を待ち望んで祝うって、想像も付かないほどすごいことだなと思う。V LIVEに流れるコメントの速さがそれを物語っている。Agust D名義の「사람 / People」に「君の平凡は逆に俺の特別さ 君の特別は逆に俺の平凡さ」という歌詞がある(直訳)。それをどう思うかは別として、とにかく違う世界で生きているということだ。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。

昨年読んだ宇佐美りん「推し、燃ゆ」に上記の表現があり、まさにその通りだと思っている。私が落ち込んでいてもユンギには関係ないし知る由もないので、私は表舞台に立つ彼の姿を見て元気づけてもらうことができる。

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私がなぜユンギペン(ファン)かというと、色白で塩顔でかわいいなと思ったことと、音楽に対する熱意、達観した考えと思慮深い言葉、あまり人に興味がないように見えて実際はすごくメンバーを気にかけていること、などが挙げられる。インタビューやV LIVEを見ていると、いろいろな立場の人に寄り添った言葉を選んでくれている。かと思えば自作の歌詞では苦しんだ過去や葛藤を強い言葉で表現していたりもする。BTSが気になり始めた頃に彼の過去のインタビューや歌詞の和訳を読み漁って感心した。メンバーと一緒にいるときは爺と言われるほどあまり動かないのに、ステージの上ではかっこいい。私が持っていたアイドルのイメージを拡げてくれたと思います。

夢に多くの意味を託してはいけないんです。夢はただの夢。なくてもいい。必ずしも努力しながら生きなくてもいいと思います。世間が若い世代に対して過酷だと思うことが多いんです。多くの人々が同じような道を進まないといけないという風潮が残念ですし、思い通りにならなかったら失敗だと表現するじゃないですか。若い人たちはあまり自分を責めないでほしい。夢の大きさを人と比べる必要もありません。小さな目標を1つや2つ、叶えていくのも十分に価値のある人生だと思います。

これは昨年12月に公開されたGQ KOREAのインタビューの言葉です。彼自身は大きな夢を抱いてソウルに出て努力して叶えたんだけど、そうじゃない生き方にも目を留める視野の広さを持っている。尊敬します。


ユンギのセンイルの翌日から、約2年半ぶりにソウルでのコンサートが開催された。私は初日と最終日をオンライン配信で観ました。(初日は平日だったけど、定時で退勤したら余裕で間に合った。こういうときは韓国と時差がなくてありがたいと思う。)

そういえば、これまでに私が観たBTSのコンサートは日本かアメリカかヨーロッパのもので、本国での公演は今回が初めてだった。

結論から言うと、やはり本国での公演は彼らにとって特別なんだなと思った。それは表情や空気から伝わってくる。私はいつも字幕を通して彼らの言葉を理解しているけど、翻訳では伝わらない部分があるんだなと改めて感じた。ニュアンスを理解できないことが少し寂しいと思ってしまった。日本人の自分にとってはアメリカも韓国も外国だけど、当たり前ながら彼らにとっては全然違うということ。むしろ今までそういったことを深く考えなかった自分はあまりにも想像力が欠如していた。そういう意味では、とても大事なことに気づくことのできた公演であった。

「HOME」という曲には「君がいるところ、たぶんそこが僕の家」という歌詞があって、まさにコロナ禍を経て戻ってきた本国での公演で歌われることにふさわしかった。2019年に発表された楽曲だから、こういう状況になることは想定されていなかったと思うけど。

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まあ何より、楽しそうに歌って踊る彼らのパフォーマンスをリアルタイムで観られただけで、私は嬉しかったです。あー、いつか私もコンサート行きたい。


ユンギさん、お誕生日おめでとう。すばらしい一年になりますように。

윤기야,생일 축하해요.멋진 한해가 되길바래.

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