自然と言葉は乗ってゆく
お久しぶりです
昔から絵を描くことが好きだったのですが、
最近はInstagramに投稿を始めました
そのことについてお話しします
絵や音楽など芸術はずっと好きだけれど、
ずっとなんとなく自分でバリアを貼っている気はしていた
21歳の今、人からどう思われるかを考えられるようになったからこそ邪魔をする
私は特にその人の溢れるほどいっぱいに広がった世界を持つ人にとても嫉妬する
私にはできるのか、できないのか
周りにはクールでカッコイイとか言われるけれど必死に私を保つことに精一杯である
私は建設的で哲学的なことを話すことをとても好む
私の思う気持ちを母以外に思い切りぶつけられたことはない
以前付き合っていた彼に、
「私は私の力で生きることが人生の目標なの。
〇〇はどう行きたい?」
と質問したが、別にどうって特に無いな~
て笑いながら流されたことがある
そっか、こんなことを考えているのって私だけなのかな?私はおかしいのかな?
でもさ、まずは就職したいとかそうゆうことじゃないと思うんだよね
その前にどう生きたいか、そこを聞かせて欲しかった
そんなこともあり、かなり色んなものや人に対して諦めがついているというか冷めた部分がある
どうせ言ってもだめ、どうせ伝わらない、馬鹿だと思われる
そうやって自分を虐めては怖くなり殻を破れないでいることも分かっていた
だけど、そんなこと言ってられねえんだよ
やる人はやってるし、もう既に上には上がいる
孤独で怖いだとか、言い訳なんかしないでやれよって自分に言い聞かせてるんだよね必死に
だから、アート活動をしたくても手につけれない時はこうやってnoteに書いて整理をする
今もこうやって手が勝手に動きスルスルと書いていった
そんな文章を見て私自身を客観的に見つめ直す
愚痴やネガティブな言葉は言うのも思うのも自由だけれど、そこから自分はどうしたいのか導き出せなかったら永遠に成長しない
ダラダラと心地の良いソファに埋もれるような気持ちを叩き起さないとね
人は成長しない方が心地良かったりするから
これからはシンプルに、自分で自分の世界を築く為にひとつずつ一歩踏み出していく
そう思い、最近久しぶりに絵を描いたのだが物凄い集中力でがむしゃらなパワーを感じた
もしかしたら思考が先ではなく、行動が先なのかもって気づいたり
何を描きたいとか何を伝えたいとか、そんなことは考えなくても良かった
私にはもう後からでも自然と言葉を乗せられるくらい思考の材料が揃っていたんだと
正直言うと、私自身(世界)について何を聞かれても私は答えられるくらいの域に達している自信はある
(どう生きたい?とか、何故思う?とか)
母と昔から色々なことに対して向き合い討論を重ねていたからこそ得たものだと思っている
絵を描いた後に文章を思いつくこともあれば、描いているとそのものが生命を宿し生きてくる感覚があり、なんとなく誰かに頼まれて言わされているような
そんな感覚もあったり少し不思議な気持ちだったりする
☟絵はこちらに載せています☟
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