退屈な戦争

ふと本を読んでいて思ったこと

人は、生きがいを感じられずにいると「退屈」に感じる

毎日同じ場所に行って、同じことをして、同じ人に会って

土日は家でゴロゴロ寝て、起きたと思えばまた同じ生活の始まり

この世から、嫌でもそんな生活をしなければいけないシステムに支配される私たち

はあ、退屈だ

また同じことばかり

このままでいいやと、感じる心に蓋をする人々
いつしか、生きがいとは?と問う心さえも無くなる

退屈という感情の裏には、
何か刺激が欲しい
ものすごい何かを起こさないといけない
今何かが起こるはずだ

というような、危険な脅迫的興奮感があると思う

だからこそ、好きでもない女に手を出し変化を求める人も多い

あるいは酒やギャンブルなど人それぞれだが

日本は今平和に見えるだろうか?

私は今すぐにでも戦争が起こりそうな、というよりもう既に戦争を始めているのだと感じる

人々の心は酷く荒んでいる

人々の顔はたるみ、やさぐれ、一体どれだけの人が生きがい感を持って生きているのだろうかと考えさせられる

最近の、保育士の問題についてでは、皆保育士が全て悪いとこれでもかという程に袋叩きにする

確かにその問題について、良いか悪いかでいうと悪いことだと思う

だが、一体何故そんなことが簡単に言えるのかと不思議でたまらない

そう言った人は、メディアが取り上げる問題にまんまと飛びつき、自身に眠る問題については目もくれない

メディアという洗脳に踊らされる人々
考えないようにするために、刺激的な美味い餌を与え続けられていることに気づかなければならない

何人もの子供を抱えて、1日のスケジューリングに沿って事を進めていかなくてはならない

本来は母親が担う仕事と、何重もの責任を抱えて、必死に頑張っている姿が想像出来ないのだろうか

我が子では無い、他人の子をまとめていかなければならないという大変さ
教育関係や介護関係など、人と人が深く関わる仕事に着く方には頭が上がらないほど感謝である

まだ、独身で子育て経験も無い私だからこう余裕に感じられるんでしょう?
なんて言われても仕方がないが
それほど、人は愚かで醜いものかと思わされる

ただの1部しか見ていないのに、そんなことが言える、書けるという行為は、間接的な殺人を犯していると同じことである

全ては、自身の人生においての退屈さから生まれる空虚感が戦争の始まりだ


物事には、多面性がありあらゆる事象が存在する

例えば、
まず、正方形を前からみると正方形のままである
次に、横から見ると長方形でありことが分かり
最後に、後ろから見ると正方形であることが分かった

つまり、直方体であることが分かる

更には、色や質感、長さや角度など様々なことが見えてくる

立体的に見ようとしない人は、いつまで立っても目の前の平面的な形しか見えない

このように、今この洗脳社会の中で、多角的に見る力が試されると思う私であった

小さな戦争から、大きな戦争に膨らむ前に

#創作大賞2024
#エッセイ部門



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