18歳の私が書いた卒業論文
(※今回は、とても長いです)
自我が芽生え、小さなことで揺れ動く、精神が不安定な10代(今も)
段々と苦手なもの、好きなものがハッキリと見えてくるにつれ、現実についていけず学校はほとんどサボっていた
学校に行く前には、大愚和尚さんのYouTubeを見て精神統一させることが欠かせなかった
この頃から、「生」についてばかり考えていたため変な高校生だったかもしれない
そんな時に、卒業論文…
ついに私が望んでいた考えをを表現する場がきた!
いつ死んでもいいように、どこかに私の遺書と言っても過言ではない生記録を残したい
そして、生きるように死にたい
そんな気持ちで書き上げた卒業論文がこちらである
それではいざ、ご覧あれ
人間の本質
-問題の根源となる感情について考える-
要旨
人間の本質は善だろうか、それとも悪だろうか。
性善説か、性悪説かという言葉もある。
世間一般では、「人間の本質は善である」という意味で、性悪説はその逆で使われている。
しかし、人間は生まれながらに善と悪の要素を持っており、どちらか一方ではないのだと思われる。
人々は、綺麗なものを好む性質がある。
例えば、普通とされる考えを皆で共感することに安心感を覚える。
そして、それが正しいと考える。
一方で、汚いものは見て見ぬふりをする。
ここで言う汚いものというのは、「怒り、苦しみ、悲しみ、憎しみ」などが挙げられる。
これらを人に見られることは恥ずかしく、とても言えることではないだろう。
そのため、心の奥に封じ込めている人がほとんどだ。悪の心を持つ自分を認めず、善の心で居ようと必死であるようでは、限界がある。
人々は善と悪の心のバランスが崩れたときに、最も危険であるのだ。
【キーワード】人間の本質 善 悪
1 序論
「ありがとう」と言われて嬉しい。困っている人を見ると助けてあげたい。
少しでもそのような気持ちがあるのならば、それは「善」と言えるだろう。
しかし、芸能人が不詳事を起こすと、「最低だ」「情けない」という気持ちになる。
このように、少しでも気に触る言動があればSNSで叩かれ、悪者扱いされる。
言いたいことは言えず、本音を抑え込み、世間に気に入られるよう綺麗事を並べる。
本来、差別と認識されていなかったことも、今では差別問題として取り上げられており、特に、性に関する捉え方の違いについて理解するよう求められている。現在はSNSも発達し、思うままに情報発信することが可能だ。
そして、愛の多様性が認められる社会になり、自由になった。
しかし、本当に自由なのだろうか。
自由であるようで自由でない心。
以前よりも発言の制限がかかった今、本音と建前の使い分けが難しくなった。
心の奥にある軽蔑心や不満に思う気持ちは表に出す事が出来ず、本当の気持ちが置き去り状態である。
だからこそ、本論文では人間の深層心理と向き合っていきたい。
2 本論
2,1 コロナ禍で暴かれた人間の本性
普段は他人に優しく「いい人」であっても、ストレスが溜まると本性が出やすい。
「意外とイライラしやすい」
「面倒なことは人任せ」
「こんなに常識のない人だと思わなかった」
などと、隠されていた一面が部分が露になるからだ。
何かと自粛することが多かった2020年、人々のストレスは溜まってきた。
慣れない状況下で自粛を要請され、ほとんどの時間を家族と一緒に居ただろう。
このような状況では特にストレスが溜まりやすく大変危険である。
「夫婦共に在宅勤務なのに、家事育児は私ばかり」
「感染リスクがあるのに遊ぼうと誘ってくる」
今回の新型コロナウイルスで、家族や同僚、友達などの親しい人の意外な一面が表れた。
「あの人は、◯◯だったのに変わってしまった」と思った人がいる一方、相手の良い面を知る事が出来たという喜ばしいケースもある。
普段とは異なる価値観、場所、人間関係、常識、過ごし方、働き方を余儀なくされたため、これまで知らなかったその人の本性が表面化されたのだ。
そこで、「あの人は変わった」ということについてだ。
「変わる」ということ。
人が「変わった」ということを、その人が変化したのではなく、その人が元々持っていた性質が顕在化しただけのことではないかと思われる。
例えば、卒業して変わった。就職して変わった。結婚して変わったなどである。
その人は元々そういう性質を持っていたけど、きっかけがなく、表せなかった。
それが、ある出来事をきっかけに自分の気づかなかった自分が表れたということなのではないだろうか。
今回のコロナ禍でも、同じ場所で同じ人と長時間一緒に居ることがほとんどだったため、ストレスが溜まり、本性が表れたということだ。
「変わった人」に罪はなく、コロナウイルスをきっかけに言い訳が出来たのだ。
もしかしたら、人は言い訳に出来るきっかけを探しているのかもしれない。
2,2 心の中にある差別意識
現在、人間の多様化を重視する社会となっており、差別をなくすために様々な取り組みが行われている。
障害、病気、性、人種。
これらの差別問題に対して、「私は差別も偏見もない」と自信を持って言えるだろうか。
筆者は言えない。
人は皆、元々根強い差別意識を持っており、生きてきた環境や教育によって、人それぞれの価値観が形成されるものである。
だから、差別意識をなくす事は不可能であると思われる。
そして、差別を無くそうとすること自体に限界がある。
実際、「周りの親しい友人がレズビアンだった」と知ったら、普段通り相手に接することができるだろうか。
筆者は出来ない。
おそらく、ほとんどの人が出来ないだろう。
相手に今まで抱いていた勝手なイメージ(しっかり者で完璧な人、親切な人など)は一変し、「変わった人」と捉えるようになる。
普段自分には差別意識がないと思っていても、近所の人、友達、家族と身近になってくるにつれ、心の中にある差別意識が表われてくるのだ。
これは、戦争と同じである。
今でも至る所で戦争が起きているが、なぜ無くならないのだろうか。
それは、「自分達は悪くない、相手が悪いんだ」という思い込みがあるからだ。
戦争と言ったら、国と国が戦う大きな戦いを連想するだろうが、実は日常にも、自分の中にも小さな戦争が起きている。
「あの人って○○だよね。」と悪口を言い合うこと。
ダメな自分が嫌いで自傷行為をすること。
「ムカつくから。」という理由で殺人を犯すこと。
ダメだと分かっていても言ってしまう。
やってしまう。
こういった葛藤が事を大きくし、大きな戦争へと繋がっていく。
つまり、ここで述べたいことは、無意識のうちに差別も戦争もしているということ。
そして、一人一人の「自分が正しい」思い込みがいかに怖いかということに気づくだろう。
自分の価値観とズレが生じた時、差別や偏見に変わる事は仕方がない部分であり、潜在的にある意識を変えることは難しい。
とは言え、口や行動に出し、直接相手を攻撃すると差別が顕在化してしまうので、自己を抑制してなくてはならない。
その上で必要なのは、差別する心と向き合い、それも含め自分であるということを知ることだ。
そして、その人自身の人となりを知ろうとすることにより、差別意識は少しでもなくなるだろう。
2,3 いじめる側の心理
皆、一度は人をいじめた経験があるはずだ。
それが直接的なものではなくても相手を傷つけるような言動をしたかもしれない。
今となってもなくならないいじめ問題。
「いじめられる側」の傷には同情することが多いのに対し、「いじめる側」についてはマイナスのレッテルを張る程度で、まともに相手にされない。
「なぜ、人をいじめるのか」。
いじめる側の気持ちを考えたことがあるだろうか。
筆者も小学生の頃、友達とトラブルをおこして怒られた事ことがあった。
当時の自分を振り返ってみると、筆者は寂しかったのだと思われる。
当時親は仕事で忙しかったため、話したい事があっても話せなかったのだ。
だから、話を聞いてもらいたい、構って欲しいという思いにより、人を傷つける事で親が自分に関心を持ってくれると思ったのだろう。
いじめる側の心理としては、人をいじめる事で、「今自分が抱えている心の問題」から少しでも楽になりたいと願うからだと思われる。
そこには、愛されたい、構って欲しい、他の人を羨む嫉妬心などがある。
そこで、「身口意一致」という言葉を知っているだろうか。
「・身…やっていること(行動)
・口…言っていること(言葉・思考)
・意…思っていること(心・意識・フォーカス)」
空海はこの3つを一致させることで、願いは叶うと述べている。
何かの思いや願いが叶わないということは、身口意が一致してないのである。
「口ではダイエットをすると言いながら(口)、
ダイエットは辛くて嫌だと思い(意)、
食べてしまっている(身)。」
このように、物事が上手くいかない原因は、やっていること、言っていること、思っていることがバラバラなのである。
いじめが無くならない原因を、私なりに「身口意一致」に当てはめてみよう。
自分のしたことは悪いとは思い、謝っていながらも(口)、
誰かに構って欲しいという満たされない思いから(意)、
人を傷つけてしまっている(身)。
心の中の寂しい気持ちに気づかないまま、相手に偉そうな態度を取ってしまうようでは願いは叶わないということだ。
そして、「寂しい、構ってほしい」という気持ちが重なることにより、他人に手を出すいじめへと繋がってしまうのである。
もしかしたら、その人が人をいじめてしまうのは、何か大きな問題を抱えているからなのかもしれない。「なぜいじめたのか」「どうしてイライラしたのか」と問いかけてあげることで、その人は気づかなかった本当の気持ちに気づくことが可能になる。
心の拠り所がなく、不安定である人がほとんどだ。
このように、「いじめる側」の気持ちに目を向けなければ、どんなにいじめを厳罰化したり、いじめをなくす運動を強化しても、いじめはなくならないだろう。
3 結論
世の中には様々な社会問題や人権問題があるが、全ての問題の根源は、「人間の心」にある。
そこに気づかない限り、どんなに改善策を練っても結局同じ事の繰り返しだ。
感情は無意識に湧き出てしまうものであるから、止める事が出来ず、とても困る。
日々、私達は感情が表に出ないよう「抑制」したり、感じないように「抑圧」している。
しかし、負の感情と言われる「不満や不安」などの気持ちを常に無意識化しながら生活していると、習慣化し、いつかは大きな問題を起こしかねない。
また、人は環境や接する人によって性格が変わる生き物であるのだと思われる。
優しい人、意地悪な人、いじめられる人、真面目な人、など全ての役を生きていく中で経験する。
皆、生きていく中で何者にでもなることが出来る。
優しい自分も、意地悪な自分も自分であるのだから、恥ずかしく思う必要はない。
大切なことは、まず自分の中に根源的な負の感情をがあることに気づくことである。
そして、その感情と向き合うことで、考え方や行動を見つめ直すことだ。そうすることで、少しでも気持ちが軽くなり、新たな喜びや発見を見出すができるのではないだろうか。
4 参考文献
大類久隆(2020).「ライフジャーナル『人間の最も根源的な感情を考える』」.〈https://natura1harmony.co.jp/joura116/〉(2021/6/24閲覧)
大美賀直子(公開年不明).「なぜいじめるのか?いじめる子がいなくならない理由」.〈https://a11about.co.jp/gm/gc/400336/〉(2020/6/18閲覧).
CAFEBUSNON(2016).「人間の根底は、善ですか。悪ですか。」.〈https://cafebusnon.com/?p=1629〉(2021/6/11閲覧).
銀色夏生(1994).『毎日はシャボン玉-つれづれノート③』.角川文庫.
大東駿介(2020).「自分では気づかない偏見や差別意識。それが最も怖い」.〈https://www.asahi.com/and/article/20200108/8116358/〉(2021/6/18閲覧).
「無意識の習慣を変える『身口意一致』の技術」,『【1分間読書!】』(2018/10/13発行).フォレスト出版 公式ブログ.
三浦愛美(2020).『コロナが暴いた「この人は無理…」という人間性と、気づいた時の対処法』.〈https://president.jp/articles/amp/36516?page=1〉(2021/6/11閲覧).
最後まで、読んでくださりありがとうございます
世界で巡る戦争や、貧困、LGBTQ問題
全て形は違えど、問題の種は同じです
直接手の届かない問題でも、答えはすぐ私たちの内にあると思っています
私たちの見方や考え方を変えるだけでいいのです
世界を変えようとする前に
私の伝えたいことは全てここにあります
そして、私も貴方も悩みの根源はここにあったのではないでしょうか
21歳になった今、18歳の頃とは違った悩みや問題に直面します
でも、ここに戻れば大抵のことは解決できる
私の大切な生なる1歩がここに確かに残っているのです