十日の菊
ロシアにテルミンを習うために渡ったのが1993年。今でもそうだが、テルミンを習うためではロシア長期滞在のビザは発給されない。ロシア語学習の名目でビザを取得し、ロシア語を学ぶ傍ら、先生のご自宅へレッスンに通った。モスクワ市内南西部にある学校の学生寮に暮らしたが、我々の住む階は24時間勤務のご婦人が3人交代で管理していた。世間話を交わす中で生きたロシア語も学べた。
私の部屋には珍しく冷蔵庫があって、たまに部屋の中でかんたんな調理をすることもあった。食材があったからだろうが、暗くなると部屋にネズミが現れて、数匹で運動会をすることもあった。こんな世間話を管理人のご婦人としていると、では猫を連れてきてやるとおっしゃる。猫がいればネズミは出て来ないからと。冗談だと思っていたら、数日後仔猫を一匹連れてきた。本当に小さくて育てられる気がしなかった。しかしその日から私の同居「猫」になった。
始めのうちは私の部屋で暮らしていたが、慣れてくると私の住む学生寮4階フロアを自由に行き来するようになり、新たな4階の「住人」になった。しょっちゅう私に猫を借りに来る友人たちもいて、すぐに我々あいだの人気者(猫)になった。
9月10日にもらったので9月9日の重陽の節句に一日遅い「十日の菊」にちなんで「菊千代」と名付けた。親バカは承知だが、美形な猫が多いロシア猫の中でも美しさは際立っていた。赤塚不二夫さんの猫も白黒のハチワレで菊千代だったことや、どこか雅やかな雰囲気をたたえていたことから、直感的にそう命名した。
菊千代が来てから私の暮らしは変わった。レッスンに通う道すがら、美味しそうなキャットフードを売っていないか気をつけるようになり、お客に呼ばれても早く寮に帰るようになった。暗い部屋で菊千代が一人待っているかと思うと長居できなかった。
1994年の年末に一時帰国するが、楽器も含め山のような荷物があり、フランスに立ち寄る用事もあったので、二ヶ月後に帰国するクラスメートに菊千代を連れて帰ってくれるように頼んだ。きけば、飛行機が遅れて、寮を出てから日本の私の家につくまで15時間ほどかかったが、粗相をしてしまうでもなく我慢し続けた。初めてきた日も、ちょうどその日にテルミンの師のお誕生会があり、帰宅する頃には日付が変わっていた。私の書類や机の上に粗相しているかと思えば、バスタブの中で用を足しており、なんて間(ま)の良い猫なんだと、出会って一日目に菊千代の聡明さを知った。9月10日にやって来たが決して「十日の菊」ではなく、生涯を通してたいへん間(ま)のよい猫だった。