ウタカタノウタ
蒸し暑いなか薄曇りの空を気にしながら駅からの道を急いで歩き10分程、茶色いビルに入りエレベーターで5階に昇ると目の前に重い店の扉がある。
見るとopenのプレートの下に何時より貸し切りと書いてある。あと2時間後か?入れるかな?
扉を押し開けると薄暗いなかにカウンターが見えた。
マスターがゆっくりと顔上げてこちらを見ると「いらっしゃいませ」とぎこちない笑顔を向けた。なんとなくここのマスターが俺は苦手だ。
『どうも・・』席に座ると静かな店内に荒々しく扉が閉まる音がした。
またやった!扉が重さで閉まると音が響くので本来ゆっくりと自分の手で閉めなければならないのだ。学習しないなと苦笑しながら
「・・申し訳ない」とつぶやくと
「大丈夫ですよ。今日は未だ他にお客様もいらしてはいませんし」伏し目がちにそうマスターは言うとゆっくりとキューバリブレをカウンターに置く。
「よく覚えていらっしゃいますね」と驚きながらきくと
ニヤリとしてマスターは
「時間ですから聴きますか?」と奥を見た。
自動人形が1体置いてある。
陶器の様な白い肌に黒い服がよく栄えて薄暗い照明の元だと人間味が増す。
このbarはオートマタが2時間ごとに歌うのが売りだ。
別に人形愛好家と言うわけではないが友人に連れて来られて以来物悲しく寂しく歌うオートマタの歌声が気に入って月に1度聴きに来て今日で4度目。
1度「この声はどなたが元なんでしょうか?」とマスターに訊ねたこともあったが
「さあ?誰なんでしょうね?」と上手くはぐらかされた。あるいは本当に知らないのかも知れない。
マスターが室内の灯りを落とすと人形がゆっくりと瞬きをする。
そっと歌が流れ始める。
一体何曲入っているのだろう?1回のパフォーマンスにつき聴ける曲は2曲なのだが聴く度に違う曲だ。それもみんな寂しい曲。
俺には合っている。と苦笑した瞬間電話の音が聞こえた。
歌をゆっくり聴く為に入る前に電源は切ったはずと鞄を見るとマスターが申し訳なさそうにスマホ片手にカウンターからあの重い扉へ向かい音もたてずに出ていった。
扉を見つめてため息をつくと
『なんのため息?』
と声がした。
驚いて振りかえると
少女の様な少年の様な子が不思議そうな顔をしながら横に立っていた。
「君、いつから・・・」
『いつから??』
その子は小首を傾げると漆黒の瞳を瞬かせる
「あー、失礼!先客がいらっしゃったとは」
『先客?ずっと居る。貴方は…見たことある』
同じ日に聴きに来た事が?自分が今まで来た時は夜も遅くこんな子を見かけた事はなかったがなにせ薄暗い店内だ奥のソファに親の影に隠れて居たのかもしれない。ずっとと言う事はもしかしたらマスターのお子さんか?
『歌は好き?』
ヒョイっと手前の椅子に座り笑顔できいてきた。
「・・・歌は好きだけど・・」
『だけど?何?』
足をふらふらさせると黒いプリーツの裾が揺れる。
「あの、君はこんな時間にこんなところにいていいの?親御さんは?」
『こんなとこ?ここ、楽しくて好きだけど?あなたは好きじゃないのにここに居るの?』
と可笑しそうに笑った。
「あー。居心地はいいね、いや、そうではなくて、こんな悲しい歌が流れるのに楽しいのかい?」
『歌が哀しい??そう聴こえるの?』
じっとこちらを見つめながら不思議そうに訪ねる漆黒の瞳が徐々にビー玉みたいに見えてくる。
この子はなんだ?
気づけば歌が止んでいる。
オートマタが故障したのか?戸惑って人形の方を見ようとすると
『それ美味しくないの?』といつの間にすぐ側に来たのか背伸びしてカウンターのグラスを白い手が持ち上げた。
「こら、子どもがのむものじゃない!」
慌ててその手を掴む。が、瞬時に離した。冷た過ぎる。何か人の手ではない感触。
『こどもはこれダメなの?』
キョトンとしながらもグラスをゆらゆらと揺らす。
「そうだね。お酒が入っているから、あの寒く・・」
『お酒?なーんだ!いつも美味しくなさそうに飲むから美味しくないのかと思った!』
とグラスを口に運ぶ。
「あ!」
『!?なにかシュワシュワしている!変な味!返す!』
眉をひそめながらグラスを俺に渡す。
「だから言ったのに。水かジュースでも飲むかい?マスター・・は未だ戻っていないのか、ねえ君?」
『哀しい曲が好きなの?』
コルクのコースターを持ち上げる。
「え?あ、悲しいのも楽しいのも色々…」
『ふーん、じゃあ詞?』
「悲しい作詞に明るいメロディーはあまり…」
『好きじゃないの??人間って変なの。じゃあ哀しい詞を楽しい曲で歌ったらどうなるの?』
「どうって…人間って君もだろう」
質問攻めだなと苦笑いしながらふととある曲を思い出した。
『それ!それにしよう!!』
「え?」
キョトンとした自分を見て笑いながら
『ちゃんとあるんじゃない!その美味しくないのはやく飲むといいよ♪』
戸惑う自分を無視してグラスを指す。
美味しくないのと言われて飲む奴が居るか?とグラスに目を移した途端に静かにフルートの音が聴こえてきた。
驚いてそのコの居た方を見るとアロハシャツを着たギター弾きともう1人ギター、タンバリンを叩く若者とマラカスとカホンの音、そのなかでそのコがフルートを吹く女性に微笑んで歌いはじめた。
明るいメロディーから寂しい詞の歌が甘い声音で聴こえてくる。
自分が頭に思い浮かべた歌だ。
「…なんで?」
いや、そもそもこのバンドの人達はいつ来たんだ?それにこの歌声さっきまで…
歌詞に反してにこやかに歌いながらそのコは曲の最後に持っていたコースターをこちらに投げた。
それを受け取ろうとした瞬間に大きな音をたててドアが閉まる音がした。
振り返るとマスターが申し訳なさそうに
「すいません。手が滑りまして」
と謝りながらカウンターのなかへ入る。
「申し訳ありません、いやあどこも瓶のコーラがが売り切れ…」
マスターの言葉を遮るように
「あの、あの方々は⁉️あのコはマスターのお子さんですか?」
怪訝そうにマスターは
「あの方々?私のコ?」
と聞き直す。
「いや、だから…」
横を見ると誰も居ない。小さな椅子にオートマタがうつむいて座っているだけだ。
言葉を失って呆然としている自分に
「ああ、歌い終わったのですね」
とマスターは店の明かりを戻す。
「小さいコが!小さいコが居たんです!マスターのお子さんかと最初は思って」
驚いたようにマスターは
「子どもが?店に入ってきたんですか?それで私の子だと?私に子どもはおりませんが?」
「子どもだけじゃない!フルートとかギターとか弾いて!!」
不思議そうに
「店を間違えたのかな?その方々はもう外へ?」
「今居たんですって!暗闇に溶け込むみたいな黒い服で…」
聞きとりにくい声でマスターが
「黒?ああ、あなたにはそんな色に見えているんですね」
とつぶやいた。
「え?」
マスターは声を落とすと
「今、ですか?失礼ですが、ここへ来る前にどこかでお酒を?それとも夢でも見られたんですか?私が帰ってきた時は誰ともすれ違いませんでしたし、未だこちらではお酒はお出し出来ていないのですが」
「そんな馬鹿な!…出してない?キューバリブレ!出してくださいましたよね?」
「いえ、コーラを切らしていてお出し出来ずに外へ買いに、ああ間もなく貸し切りのお時間です。申し訳ないですが今宵はこれで、何も出せずにいたのでお代はけっこうですので」
丁寧なお辞儀をしたマスターに
「は?え、あ、でもあと貸し切り時間まで2時間あると書いてありましたよ?」
「2時間?お客様がいらしたのは貸し切りに成る時刻の20分前ですが?」
「20分!?そんな馬鹿な!それだとマスターは20分もコーラ買いに行かれていたんですか?」
「瓶のコーラはなかなかないので…」
と頭を下げる。
何がなんだかわからない自分に
カウンターから出てきたマスターはドアを開け「お気をつけて!今度はしっかりとお酒と共にお聴きいただけるように…お待ちしております」
とぎこちなく笑う。
納得もいかなければ聞きたいことだらけだかその笑みの怖さによほどの上客が来るのかと思うのと同時に不意の悪寒に何かよくない気がして慌てて店を出た。
白昼夢か?だとしたらそんなに自分は疲れているのだろうか?エレベーターを降りて店の方を振り返ろうとすると頭に神社では振り返ってはいけないという言葉が浮かんだ。無神論者なのに何故浮かんだのかもわからずにそれでもなんとなく振り返らずに空を見上げると雨雲が群れをなしてこちらにやってくる。
「傘がない」
オートマタが歌った1曲目のタイトルと同じ言葉が出た。
深呼吸をすると美味しそうなカレーの匂いがする。急に現実に戻されたみたいだ。
でもどうせ濡れて帰るなら食べて帰ろうか。
あのコが歌った曲名が思い出せずにスマホの電源を入れようとポケットに手を入れると僅かに湿ったコースターが出てきた。