越谷 利根川の東遷と荒川の西遷

線状降水帯により各地で浸水の被害が出ている。

昨年の台風で大きな被害のあった静岡もまた被害があった。

埼玉の越谷も大きな被害があったと報道されている。
越谷を調べてみると元々利根川と荒川が合流していた地域とのこと。
たびたび氾濫していて荒川は荒ぶる川のことだとか。

利根川も元々は東京湾に流れていた。
江戸時代に徳川幕府ができてから利根川の流れを変える工事が始まった。
千葉の方へ流れを変えたので利根川の東遷呼ばれるそう。
越谷の方から東京のほうまで川の氾濫で住みにくい地域だったようだ。


柳瀬博一/著
『国道16号線―「日本」を創った道―』新潮社
こちらの本で利根川の東遷は知っていた。



江戸の洪水の防御

「荒川の西遷(せいせん)」と呼ばれるこの河川改修事業は、埼玉平野の東部を洪水から守り新田開発を促進すること、熊谷・行田などの古い水田地帯を守ること、木材を運ぶ舟運の開発、中山道の交通確保、さらに江戸の洪水の防御などを目的にしていたと言われています。

国道交通省 荒川の歴史より

国土交通省の荒川の歴史の情報によると荒川を今の流れに替えた大掛かりな工事は江戸の洪水を防ぐ役割もあったようだ。


埼玉平野が東京を守っている

現在の手法を述べますと、東部地域に降った雨は中川をはじめ全て東京湾へと注ぎますが、何れの河川も都内の人口密集地帯を流下するため河道の拡幅には限界があります。このため流域に降った雨は一時的に「遊水池」に貯留し、洪水が去った後からゆっくり河道に流したり江戸川と中川・綾瀬川流域では、洪水の流出に時間があるのでこれを利用して「放水路」により江戸川へ放流する等と、「河道の拡幅」を組み合わせた治水方法を取っています。

埼玉県  『川の改修の変遷』より

江戸時代からの先人達の治水に対する努力のおかげで今の東京があることがわかった。
埼玉と東京は川で繋がっている。

越谷の浸水の被害も東京と無関係ではないのかもしれない。

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