クラシックの巨匠の演奏を生で聴いた日本人―クラシック愛好家・渋沢敬三とトスカニーニ
最近クラシック音楽をよく聴くので、クラシック音楽に関して私らしい記事を投稿したいと考えていた際に、とある些細な事実を思い出したので簡単に述べたい。
渋沢栄一の孫で日銀総裁、大蔵大臣を歴任した渋沢敬三はクラシック音楽の愛好家でもあった。敬三は栄一の創設した第一銀行に入行する前、横浜正金銀行にいて1922~1925年の間ロンドン支店に勤務していた。このヨーロッパ滞在時に、レコードを買い集めたり、コンサートに行ったりしていたようだ。また、度々ヨーロッパ各地を旅行していたが、1923年11月24日~12月10日に1回目のイタリア旅行をしている。『渋沢敬三著作集 第1巻』に収録されているこの旅行の印象をつづった「伊太利旅行記」では、クラシック音楽に関する以下のような文章が確認できる。
(前略)ミラノで一番面白かったのは(中略)この夜見たスカラ座の『アイーダ』である(中略)自分は『アイーダ』を東京で見、ロンドンで見た。しかしこんなとびぬけたものがあるとは夢にも思わなかった。勿論作者のヴェルディが伊太利人であるためもあろうが、役者も舞台も全く至れり尽くせりである。更にオーケストラは有名なスカラでしかもコンダクターはトスカニニであったことも幸であった。(後略)
この旅行記や『渋沢敬三著作集 第4巻』の「旅譜と片影」から判断すると、敬三は12月3日にミラノのスカラ座でトスカニーニ指揮のヴェルディのオペラ『アイーダ』を鑑賞したようだ。アルトゥーロ・トスカニーニは20世紀を代表するイタリアの指揮者で、ベートーヴェン、ワーグナー、イタリアのオペラなど多くの名演がある。(追記1)敬三がクラシック音楽を愛好していたのは知っていたが、この巨匠の演奏を生で聴いているとは知らなかったので驚いた。
上記に引用した「旅譜と片影」、『渋沢敬三著作集 第5巻』の「ロンドン通信妙」を確認すると、他にも私の知っている指揮者や演奏者のコンサートを生で聴いていた可能性があることが分かったので、機会があったら文章にしていきたい。
最後に渋沢敬三に関して、簡単に補足しておきたい。上述したように、敬三は渋沢栄一の孫として生まれた。この文章の冒頭では、敬三を実業家として取り上げたが、民俗学・民族学の支援者としての一面ももっており、本人の資質や希望はこちら側にあった。(注1)アチック・ミューゼアムという民俗学・民族学の研究所を私費で創設し、多くの研究者を育てると同時に自らも研究を行い、民俗学・民族学の発展に貢献した。
敬三の祖父の渋沢栄一は、新一万円札の顔になることが決まる、2021年にはNHKの大河ドラマ化の主役になる、書店には関連書籍が多く並ぶなど「渋沢栄一ブーム」と呼んでも良さそうなくらい取り上げられている。この勢いを少しだけでもいいので、敬三やその仕事の知名度の向上に分けてもらいたいものだ。(注2)
(注1)敬三は動物学者の志望であったが、祖父の栄一にじかに説きふせられて自分の志望を断念して実業界に進んだ。敬三と交流のあった人々の印象から判断すると、敬三は実業を自分の本当の「仕事」であるとは思っていなかなったようだ。
(注2)私が知る限り、新一万円に栄一の顔になることが発表されて以降、敬三が話題に上がったことはほとんどない。簡単にGoogleで調べてみたところ以下の記事がでてきたが、敬三の話題にとぼしい。
途方もない立ち往生をする私達に、宮本常一と渋沢敬三が教えてくれるものとは
優秀すぎた渋沢栄一の孫・渋沢敬三…動物学者志望の金融トップはなぜ財閥解体を受容したか
在野の民俗学者・宮本常一とそのパトロン渋沢敬三。 二人の麗しき師弟関係を作家・佐野眞一が 渾身の筆で描いた大宅賞受賞作、ついに電子化!
(上記のニュースは2020年5月4日12:02に最終閲覧)
なお、敬三の没後50年を機にその仕事を後世に伝えるために開設された「渋沢敬三アーカイブ」がインターネット上で閲覧できる。
(追記1)私がトスカニーニの演奏を聴いて名前を知ったのはおそらくこの録音が最初だろう。今から約15年前のことである。