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「好いとうよ」/宝塚歌劇星組博多座公演 『ME AND MY GIRL』初日のカーテンコールにて

10月9日、博多座に宝塚歌劇星組公演『ME AND MY GIRL』の初日を見に行きました。

この公演は、主人公の下町育ちの青年ビルと貴族の紳士ジョン卿の2役を専科の水美舞斗さんと星組2番手男役の暁千星さんが役替わりで演じるという趣向が見ものの一つでもあるのですが、初日は主演のビルを水美さんが演じられました。

その初日のカーテンコールで、主役を演じた水美さんが観客に向けて少々はにかみながら「好いとうよー」とおっしゃったのがとてもチャーミングで客席もほっこりあたたかい空気に包まれました。
次にカーテンが開いたときにお隣の舞空瞳さんと照れ臭そうに微笑み合いながら客席に向き直り「勢いで好いとうよと言ってしまいましたが・・・好きっちゃん??・・って言います?・・あ、言いませんね・・(笑)」となにかお一人で自己完結されたような感じで照れ笑いをされた水美さん。あれってもしかして某県民性をエンタメにしたバラエティ番組の「福岡県民は告白する時『好いとうよ』とは言わない」という放送をご覧になってて心配に思われたのかも?
もしそうだったら心配されなくてもいいのになと思いますので、そのことについて書いてみたいと思います。

そもそも福岡県民は「好いとうよ」と言うのか?という疑問に対する答えとしては、世代とシチュエーションによるということに尽きると思います。

ただバラエティ番組や他県の方から若い女性が「好いとうよ」と言うことを求められることに関しては正直モヤっている人は多いと思います。
でもそれとは話が別で、舞台の上から「好いとうよー」と言ってもらうのはとても嬉しいです。
来福されたポップスターがライブで観客に叫ぶ「I LOVE FUKUOKA!」とか「I LOVE KYUSHU!」と同じ意味で受け取っています。
地元の言葉を使って愛と親しみを表現しようとしてくださるお気持ちがなによりも嬉しく思います。

「好いとう」「好いとる」は、福岡以外でも九州で広く使われる方言で「好いている」「好きである」という意味ですが、福岡市やその近郊で若い人が使っている印象はあまりないです。使われなくなってきた方言の一つかなと思います。

代々博多の旧市街エリアに住んでいたり祖父母曽祖父母世代との交流が多い人だと使っているのかなと思いますが、その場合でも正しく博多弁を使うなら終助詞も方言を使って「好いとうと」「好いとうばい」「好いとうけん」(順に、好きなの、好きだ、好きだからの意味)が自然です。
方言の「好いとう」にあえて標準語の終助詞「よ」をつけるのはとても意図的な印象を受けます。
(例えばなるべく強い方言を避けて他県の人にわかりやすくしたいという意図とかかな? けど、それならなによりも「好いとう」という強烈クセツヨな方言を使わない方向に行きそうなものです)

では「好いとうよ」は使わないかというと、例えば私の場合は母親に「イチゴは好きじゃなかったよね」と訊かれて「えっ好いとうよ」と答えたりはします。
この「よ」は間違った情報を打ち消したい強調の「よ」です。『好きなのにどうしてそんなことを』という思いが込められています。
本来の博多弁だと「好いとうくさ」(好きに決まっているではないかの意)となるのでしょうが、さすがに「くさ」では語気が強すぎてケンカ腰とも受け取られかねないので「よ」で代用するかんじでしょうか。
(ちなみに生粋の博多者同士の会話はケンカをしているのかと思うほど語気が強くて私はビビります)

標準語ではつたえきれないニュアンスというものがあって、地元民同士では方言を使うほうがより気持ちがつたわるので使いたいけれど、かといって昔ながらの言い方だと語気が強すぎるとか無作法な印象になると感じるようになってきたので、いまは気を遣いながら模索しながら使っているかんじでしょうか。
そうやっていまの気持ちに合わせて標準語をミックスして使うことで方言自体が時代とともに変化していっているのかなと思います。

「好いとうよ」という言葉については
①若い人は「好いとう」をほとんど使わない。
②「好いとう」を使うにしてもそれに標準語の終助詞「よ」をつけるのは何か作為を感じる。
③「好いとうよ」は「『好いとう』という心の状態であること」を「よ」で強調したい場合に使う。

以上のことから、バラエティ番組等でもとめられるような、告白する時に「好いとうよ」を使うケースってよほどレアな場合に限られる気がします。
告白じゃなくて、恋人同士が犬も食わないやつ(痴話げんか)をしているシチュエーションならあるかもしれないなと思います。方言強めの恋人同士の場合とかに。
ちなみに、TVなどで博多出身とされるタレントさんがしなを作って「好いとうよ♡」と言うのを見ると「言わされてるなぁ」と思います。
これは博多弁に限らず標準語でも類似のことは思いますけど。

話しを戻しますと、盛り上がった音楽ライブや舞台挨拶でパフォーマーが観客に向かって叫ぶ「好いとうよー」には違和感はありません。
「好いとう」=「好きだ」という心の状態を地元の言葉を使って表明してくださっているのだから喜ばずにいられましょうか。
(その方がネイティヴでないならなおさら)
コロナ禍前ならば、「好いとうよー」と言われたら「キャ――♡」なり「私も好いとうよー」なり、なにかレスポンスがあったと思うのですが(元来福岡はコール&レスポンスが好き)、長く劇場での発声を控えてきたのでミーマイ初日の客席の反応にはぎこちなさもあったかなと思います。
またチャンスがあったなら、狼狽えずにレスポンスしたいなと思いますので、どうかこれからもどんどん福岡で公演をしていただきたいと心から願っています。
「私も好いとうよー」の気持ちをこめて。

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