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2-1.ところでビデオカメラはどこにある?

『動画で考える』2.とりあえず動画を撮り始めよう

ビデオカメラがどこに置かれているのかを意識してみよう。

あなたはビデオカメラを手に取って録画ボタンを押す。

そのままテーブルの上にビデオカメラを置くか、三脚を持っていれば、そこに固定する。もしかしたら友人の誰かがビデオカメラを持ってあなたを撮影しているかもしれない。録画状態のビュー・ファインダーには、あなたが写っているかもしれないし、適当にテーブルの上にビデオカメラが置かれているのなら、あなたはフレームを外れて写っていないかも知れない。ビデオカメラの録画ボタンが間違って押されて、延々と路面が揺れながら映し出されて、あなたが誰かとおしゃべりしている声だけが聞こえてくる、そんなNGショットもありがちだ。

1980年代に家庭用機材が普及するまでは、ビデオカメラはテレビ局などの現場で使用される専門的な機材でしかなく、専門的な技術や知識のない一般人がやたらと触れることは出来なかった。だからビデオカメラがなんとなくその辺に置かれていて、無目的に動画が撮影されてしまうなんてことはあり得なかった。しかし今やスマホや安価なビデオカメラがあちこちにありふれていて、いつでもどこでも無制限に動画撮影可能な環境が最初から整っている。

ビデオカメラはどこにある?それは、あらゆるところにある。動画の撮影は何も特別なことではなく、極めて無造作に、何の目的もなくあらゆる場所で行われている。

監視カメラのように、人の手を離れて設置され動画を撮影する場合もある。監視カメラは、24時間365日、機械が故障しない限り同じ場所をただ記録し続ける。そこで何か事件が起こっても、何も起こらなくても、同じように淡々と記録を続ける。何も起こらないその場所で動画に記録されているのは、確かにその場所がそこにあった、という事実だ。24時間365日録画をしていれば、24時間365日、その場所はそこにあったという当たり前のことが記録され確認出来る。

その場合、あなたはただ監視カメラの録画ボタンを押すだけでよい。もちろん、24時間365日その監視カメラの傍らに立っている必要はない。

あなたがいない場所で起っている出来事を想像してみよう。

あなたがいない場所、あなたが直接目撃していない場所でも、想像通りに人や乗り物は通りを往来し、人と人は出会って語り合ったり一緒に食事をしたりしているのだろうか。誰かがあなたの替わりにそれを目撃して報告してくれるのなら、そのような伝聞を信じるしかない。

では、誰もいない場所で発生する出来事はどうだろう。誰も足を踏み入れたことがない山間の未開地で何が起きているのか。そこで小枝が1本折れたとしても、誰もそれを目撃しなければ、それは起きなかった事も同然だ。映画のセットのように、そこまで世界は作り込まれていなくて、実際にはそこには何もないのかも知れない。

しかしそこにビデオカメラがあったら、そして誰かがその録画ボタンを押しさえすれば、そこに現実は出現する。録画ボタンを押した本人が後から記録を確認する場合も、他の人物にそこで起こった出来事を報告する場合でも、動画が残されていればその現実の印象はより確からしさを増すはずだ。

あなたの過去の日常生活は、あなたの記憶の中には残されているかも知れないが、それはどこにも実在しない。だから、記憶が曖昧になってしまえば、そのような現実が本当にあったのかどうかは、急に危うくなってしまう。しかし動画がそこに残っていれば、あなたが確かにそこにいて生活していたという手掛かりになる。

動画の撮影において、あなたの役割はただ録画ボタンを押すことだけだ。一度撮影がスタートしてしまえば、あなたがやることは何もない。しかし気が向いたならビデオカメラを手に持って自ら撮影を行っても良い。

動画を通してあなたと現実との間に生まれる関係について考えてみよう。

あなたがビデオカメラを手にして様々なものごとを撮影するとき、それはただ目の前にあるものを撮影するというだけでなく、その対象との関係を作り出すことになる。そして、ビデオカメラで撮影されたものは、撮影される前のままでいることは出来ない。お互いに関係することで変質してしまうのだ。

ビデオカメラが太陽の下にあれば、地面にその影を落とすように、動画で撮影することは、そこにいる人びとや環境や心理的な雰囲気にさえ影響を及ぼしはじめる。ビデオカメラがどこにあるのか、その微妙な位置関係や撮影時間の長さまで、その場にあるあらゆるものごとに影響を及ぼす。録画ボタンを押した瞬間から、あなたはそのような関係を作り出すことに係わることになる。

動画を撮影するということは、あなたが目の前の現実と関係を結ぶこと、それによって変質するものごとを記録する、ということだ。その事を通して「動画で考える」作業は始まる。これ見よがしなオーバーなアクションや、うるさいだけの効果音や音楽はいらないし、 不自然な演出もいらない。出来るだけ余計なものをそぎ落として、ただ目の前にある現実を見つめよう。大きな声が支配すると小さな声が聞こえなくなってしまう。ハデな色彩や強いコントラストが画面を占めると、微妙な明暗のグラデーションに気が付かなくなってしまう。大きな動きはささやかな変化を見えなくしてしまう。

あなたはただ、目の前の現実にビデオカメラを向けて、撮影をスタートするだけで良い。

(イラスト/鶴崎いづみ)

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